001: はじまり
坊=セオ
細く開けた窓から爽やかな風が滑り込む昼下がり。
自室の扉の外に人の気配を感じると同時にノックの音が静かに響き、セオは顔を上げた。
「坊ちゃん、テオ様がお戻りになられました。坊ちゃんを呼んでいらっしゃいますよ」
「父上が?」
セオは膝の上に広げていた本を閉じ、ソファから立ち上がる。扉の開く音がしてグレミオが顔を覗かせた。
「はい。書斎にいらっしゃいます」
「何だろう。父上の新しい任地が決まったのかな」
そうかもしれませんね、とグレミオが顔を曇らせながら答えた。
「グレミオ」
「ああぁ、すみません。でもまだ以前の任地から戻られたばかりだと言うのに…」
「父上が領内を飛び回っておられるのは仕方の無い事だよ。
寧ろ今回はまだ長くいらっしゃった方だろう」
「それはそうですけれど…」
未だぐずぐず言っている従者に苦笑を洩らし、セオは本を置いて部屋を出た。すれ違い様に、元気付けるようにグレミオの肩を軽く叩いてやる。
「父上は書斎にいらっしゃるんだよね」
肯く従者に行って来ると手を振って、セオは屋敷の西棟へ向かった。
「父上、セオです。お呼びですか?」
入れ、と低く落ち着いた声で応えがあり、セオは大きな
樫の扉を開けた。
書斎には扉の両側に棚が数列並べてある。天井近くまで聳える書棚にぎっしりと揃えられた本の背。普段は閉められているカーテンが、今日は真ん中の一つ
―――テオの執務机の後ろの物だけ開けられて、半ばまで傾いた日の光を部屋に導き入れていた。
テオは、その日差しを浴びる窓辺に佇んでいた。
「父上、お帰りなさい」
鷹揚な仕種でテオは頷き、一人息子が近くに来るのを待つ。セオが執務机の手前で立ち止まると、静かに口を開いた。
「新しい任地が決まった。今度は北に行くことになった」
「北…、都市同盟ですか?」
「うむ。この所動きが大きい。国境を越えて侵入して来る事もしばしばあるようだ。それにつられてあの辺りの少数部族も動き出している。少し叩いて来ねばなるまい」
「そうですか…。父上ならば大丈夫なのでしょうけれど、どうぞ気を付けて。吉報を待っています。それで、出発はいつに?」
「七日後だ。明後日に皇帝陛下に謁見して拝命することになっている。その時に…セオ」
不意に、テオの強い視線がセオを捉えた。
「お前も共に御前に参るように仰せつかった」
「え…? 僕も、ですか?」
急な言葉にセオは目を瞠る。
「お前が近く軍に入る事をどこかで耳にされたようでな、お前と会ってみたいそうだ」
驚きに言葉も無い息子に、テオは微かに目元を緩める。
セオは瞠目して、それから困惑した様子で目を伏せた。
「どうした。嬉しくないのか」
「いえ、そんな事は…」
「うむ。将軍の息子として陛下にお会いするのは嫌か?」
セオは一瞬素直に戸惑った表情を見せたが、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。父上の息子として皇帝陛下にお会い出来る事は、とても嬉しいです」
「そうか」
息子の言葉に、父親は心底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「お前は己の功で陛下への謁見を賜りたかっただろうが、それもすぐに叶うだろう。今回は父の顔を立ててくれぬか。公私混同は控えるようにしてきたが、やはり陛下に自慢の息子を見て頂きたいのでな」
「父上…」
セオは気恥ずかしげに少し顔を赤らめ、困ったように笑う。
マクドール家は元々中流貴族だった。流れは古く、かつては権勢を誇っていた事もあったが、没落して細々と生き長らえてきたような家名だった。それが継承戦争の頃にテオが将軍に抜擢され、その流れに乗る事の出来た親族がいた事もあり、今は
俄かに権勢を誇り始めている。
だから同時に敵ややっかみも多い。テオは城内で出過ぎた事はせず、息子を売り込むような事もしていなかったが、どうやら親族の誰かが皇帝の耳に入れてしまったようだった。
「昼過ぎに入城する。準備しておきなさい」
はいと返事をし、退室を断って部屋に戻った。
バルバロッサ・ルーグナー。
黄金皇帝。
父が仕え、そしてこれから自分も一生を懸けて仕えようとしているその人。
いつかは、
直に
見える事の出来る日が来るだろうとは思っていた。いや、絶対にそう出来るようにするつもりだった。
けれどそれはもう少し後だと思っていた。軍に入って、自分が少しは何かを出来るようになった頃だと。
それが。
「……夢みたいだ」
足早に自室に戻り、ベッドに身を投げ出した。
最初の驚きと戸惑いが過ぎると、じわじわと喜びがこみ上げてきた。
飽和した熱を吐き出すように深く息をつく。抜け切らない熱は身体を巡り、全身が脈打っている。一度きつく目を
瞑りゆっくり開いてみるが、気持ちの高ぶりは少しも収まらない。持て余して奇妙な焦燥感に駆られてしまう。横目で確認した時計は、あと
幾許かで夕刻の一つ目の鐘が鳴ることを示していた。
普段は約束の時間きっかりに降りて行くようにしているのだが、今日は待ち切れそうに無い。
セオは勢い良く身体を起こして、再び部屋を出た。
ほとんど走っているような速さで廊下を進み、途中で運悪く老執事に行き会ってしまい、その脇をすり抜けた後で背中に小言をもらう。ごめんなさいと声を返しはしたが、足は止めなかった。
彼が向かった先は、一階の東側にある庭へ通じるガラス戸の前。
けれどそこには、予想通り、待ち合わせている相手の姿は無かった。
気持ちが高揚しているのとここまで急いだ所為で軽く上がった息を整え、扉の横に置かれているソファに座った。ぼすっという音と共にクッションから空気が押し出されて、身体がソファに沈む。
夕刻間近の邸内は酷く静かだった。厨房が廊下の突き当たりにあるので、そこから多少の物音が届きはするが、それも随分優しい音に聞こえる。
呼吸が静まるのと同時に、鼓動も少し大人しくなった。身体中を駆け巡っていた血液が落ち着きを取り戻していく。
窓から射し込む西日が暖かい。
「あれ、セオ。今日は早いんだな」
「テッド!」
扉の開閉音と共に待ち人の声が降って来た。
セオの話し相手として屋敷に連れて来られたテッドと、セオは毎日夕刻の一の鐘の時間に待ち合わせる事にしていた。
セオには勉学と鍛錬が、テッドには仕事がある。一応お互いにこの時間までにそれぞれのやるべき事を終わらせるようにしていたが、それでも終わらなかった時に互いに支障が出ないように、と言う二人の約束事だった。
二人の立場等を考えれば、テッドが仕事の終わり次第セオの部屋を訊ねるのが通例になりそうなものだが、二人の間では今の形に落ち着いている。
セオは軽い動作で立ち上がり、待っていたのだと親友の手を取った。
「どうしたんだよ。随分嬉しそうだけど」
「うん…とりあえず僕の部屋に行こう」
この場で話すのは何だか勿体無い気がして、セオはそのままテッドの手を引いて階段の方へと足を向けた。
「で、どうしたって?」
部屋に入って開口一番にテッドが訊いたのに、セオはソファに座って落ち着かない様子で言葉を探した。
「さっき父上から教えて頂いたんだけど、僕も皇帝陛下への謁見が許されたんだ!」
言葉の内容にテッドはぽかんとし、すぐには何も言えなくなった。驚きに口をぱかりと開け、忙しく瞬きを繰り返す。
「…お前が?」
「うん。父上のおまけだけどね。それでも『僕も』って」
「すっげー! やったじゃん、セオ!」
父を尊敬し、そんな父が仕え支えている皇帝への目通りを必ずいつか叶えるのだと言った彼をテッドは知っている。その時の眼差しを、声を。だから、多少形は違えど、親友の夢が叶うと知ってテッドも自分の事のように喜んだ。
「で、それっていつなんだ? 詳しい事聞かせろよ」
「謁見は明後日だって。父上が今度は北方に行く事になったから、その拝命に」
「テオさま、もう次の仕事か」
「うん、そうみたいだ」
少しだけ寂しそうに目を伏せたセオに、テッドは微かに苦笑のようなものを浮かべた。座っていて低い位置にある親友の頭を軽くはたいて、顔を上げさせる。
「明後日、帰ってきたらちゃんと詳しく聞かせろよ。皇帝陛下の事とか謁見の事とか。あと最近噂の宮廷魔導師のウィンディって人の事とかさ。凄い美人だって噂、本当かどうか確かめて来いよ?」
「わかったよ」
セオはテッドを見上げて笑みを浮かべた。
それから二人で謁見の間の様子や噂の宮廷魔導師の事などの想像を膨らませて話していると、廊下から物凄い足音が響き、扉が強めにノックされた。
「ぼ、坊ちゃん! 今テオさまからお聞きしたんですが皇帝陛下への謁見を許されたんですって?!」
駆け込んできて足音のままの勢いで話し出したグレミオに、セオもさすがに少しひく。
「う、うん…」
「あぁ何て素晴らしい! とうとう坊ちゃんも…。今日はお祝いです! あ、ケーキでも焼きましょうか。さすがに今からではお夕食のメニューを変えるのは難しいですからね。急がなくては!」
「グレミオ、ちょっと落ち着いて」
「あっ、そうでした! 私テオさまから坊ちゃんの衣装を決めるように言い付かっていたんですよ。どうしましょう。やはり新しく仕立てた方が良いですよね。そうすると…」
一人で騒ぎ、一人でぶつぶつと予定を立て始めた従者を、セオはどうにか
宥めようとしているが、ほとんど成果は得られていない。
目の前で展開される主従のやり取りにテッドは腹を抱えて笑い出し、親友に睨まれた。
三日後、謁見は予定通りに行なわれ、セオは初めて赤月帝国皇帝と見える。
それが、全ての始まりとなる。
終
坊ちゃん、皇帝との謁見が決まった日。
当初の予定ではテッド君との会話が中心となるはずが、見事にテオさまに取って代わられております。ごめんねテッド君。
しかし何とも恥ずかしい親子だな(汗)。自分で書いておいて何だけど。会える時間は少ないからこそ大切に、という親子と言う事にしておいてください。
実際にこうなるにはテオさまの方でも色々葛藤とかあったかもしれないとか思ってます。奥さん亡くして父子二人になって、さてこの息子とどう接していけば良いのだろう?とか。変化のきっかけは坊が武術を始めた頃だとか。もやもや。
マクドール家MY設定は成り上がり者です。ただの私の好みとテオさまがあんまり貴族くさくないから。成り上がり者大好き。
そんな感じでゲーム直前のマクドール家でした。
(2003/12/26 UP)
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