002: 傷
緑深い森の中、獣の物音が遠く近くさざめく。
凹凸の激しい地面に気を配って歩きながら、どうしようと思った矢先の事だった。前を歩いていたモンブランが遅れ気味のマーシュを振り返り
眉根を寄せた。
「マーシュ、もしかして怪我してるクポ?」
「えっ」
「何?!」
「足
引き摺ってるクポ」
即座に反応したのはエメットとモーニで、マーシュが何かを言う間もなくずかずかと寄って来た。
「怪我したのかッ、マーシュ!」
「どこだ!」
「えっと、あの、大したことじゃ」
ない、と言ってマーシュはどうにか逃れようとしたが、いいから見せろと両側から見下ろされて強制的に座らされた。二人とも
上背があるので迫力があり過ぎて怖い。
「さっき、足を
捻ったみたいなんだ…」
示した
患部は左の足首で、靴を脱いでみるとものの見事に
腫れ上がっていた。真っ赤に
膨れた様子にエメットがうわっと痛そうな声を上げる。
「マーシュ、痛いなら早めに言わなきゃダメクポ」
「そうよ、無理しちゃダメよ」
「そうだよ、さっさと言えよ! びっくりするじゃねーか」
口々に言われて、マーシュはしゅんと小さくなる。
「ごめんなさい…」
「文句を言うより治療が先でしょう。ほら、エメット、モーニ、ちょっと
退いて下さい」
「あ、悪ぃ」
マーシュを囲む輪の外からマッケンローの落ち着いた声が届き、言われた二人が身体をずらす。彼は患部を見て
僅かに眉を上げ、荷の中から水筒と清潔な布、深皿を取り出した。
「これはまず冷やした方が良いですね」
「ついでに休憩するクポ。カロリーヌ、エメット、周囲を見て来て欲しいクポ」
「良いわよ」
「どっか休めそうな場所、だな」
離れていく二人をマーシュが見送る間に、マッケンローが魔法で氷を作って
氷嚢を
拵える。深皿に水を入れて凍らせ、軽く砕いて布で包んだ。それを患部に
宛がってくれた。
「ケアルとかで治さないの?」
「切り傷ではありませんし状態も軽いですから、魔法に頼らない方が良いんですよ。私達の身体には元々自然に回復しようとする力があるんです。それを甘やかしてはいけません」
「へぇ…」
「そういうもンか」
感心を含んだ声が頭上からも降ってきて、マーシュとマッケンローはそちらを見上げた。
「モーニ…、何故あなたが今知ったように言うんですか」
「あァ、今知った。魔法の
手解きは受けてないからな」
そもそもバンガ族は全般的に魔法が苦手で、
心得がある者も少ない。仕方が無いのでは、と思える部分もあるのだが、
「一般常識でしょう。特にクランで働く者にとっては」
怒気を含んだ声に
圧されて、モーニは気まずげに一歩後ずさった。
「す、すまン」
「ついでにあそこの人も知らないでしょうから教えておいてくれますか」
ちらり、と
偵察から戻ってきたエメットを
一瞥して言う。
「わ、分かった。伝えておく」
逃げるようにエメットの元へ向かったモーニの後ろ姿を見送って、マッケンローはひとつ大きな
溜息を落とした。氷嚢をマーシュに渡して、患部に触れて状態を確かめる。マッケンローの手は人間族のものより小さく指も短めで、表面は少しごわついていたがひんやりと冷たく、丁寧に触れてくれるのが快かった。
モーニに視線を移すと、彼は足取り軽く戻ってくるエメットを手招いて何やら説明をしていた。ちらとこちらを
窺った仲間を
他所に、エメットは何故かけらりと笑い、変わらぬ軽さで歩いてくる。
「近くに小さい
窪地があったぜ。沢もあって水も綺麗だし場所も悪くない。マーシュ、歩けるか?」
「うん。大丈夫」
マーシュはマッケンローの手を借りて立ち上がり、そのまま肩を借りる。
エメットはマーシュの荷物を拾い上げ、先導するために離れていった。モーニを
促して歩き出す。結局
治癒魔法に関しては何も言わなかった。
隣から深い溜息が聞こえてマーシュはそちらに顔を向ける。
「マッケンロー、どうしたの?」
「いえ、何でもありません。それより痛みはどうですか」
「どうにか歩けそうだよ。ごめんね」
「悪いと思うなら、今度はもっと早く言って下さい。旅の間はいつ何があるか分かりませんから。もしエンゲージになった時に、怪我のことを知っているかいないかは大きな差です。これもクランのメンバーの義務の一つですよ」
「ごめんなさい…」
肩を落とすマーシュにマッケンローは柔らかな笑みを見せた。
「そんなに気負わなくとも大丈夫ですよ。あなたは良くやっています」
「…そう、かな」
「えぇ。少なくともどこかの誰かよりは」
マッケンローの声に再び呆れの色が戻ってきてマーシュは戸惑う。口を開きかけ、視線を
彷徨わせ、結局遠慮がちに
訊ねた。
「あの…ね、マッケンローはエメットが嫌いなの?」
質問にマッケンローの眉が上がる。彼にしては珍しく、一瞬の
逡巡の後に力の無い声で答えた。
「別に嫌いではありませんよ。信頼しています。仕事はきちんとこなしてくれますし、剣の腕も悪くない。ただ…そうですね、理解に苦しむだけです」
「理解に、苦しむ…」
鸚鵡返しに呟いたのにひとつ頷き、マッケンローは
眇めた目で前方を
見遣る。
「私にはあんな生き方は出来ませんし、したいとも思いません。ただ、そうですね……時々、とても楽しそうには見えますが。それでも結局、私は今の自分の生き方を選ぶでしょうね」
自嘲するように微かに口元を歪め、彼は言葉を切った。そして何を言えば良いのか判断出来ずにいるマーシュの背を、二度優しく叩いた。
「唯の独り言です。忘れて下さい。ほら、足元に気を付けて」
「う、うん…」
そうして窪地の
縁まで来ると、待ってくれていたモーニの手を借りて、沈んだ地面の底に下りる。沢の
傍の地面は濡れていたが、倒木の上などに座ればそこそこ快適な場所だ。
見張りにはモーニが立ち、乾いた場所を探して火を
熾す。茶と簡単な携帯食で遅い昼食となった。
その作業の合間に、モンブランがマッケンローの隣に座り小さな声で言った。
「誰も、あんな生き方をしたいと思う人はきっといないクポ。あんな面白いのは一人居れば充分クポー」
「…
尤もですね」
くっと二人で小さく笑みを
零した。
了
久々にナッツクランの話です。これもまだゲーム初期の頃の話ですね。
マーシュ君が怪我をして皆に心配される、というのが最初のコンセプトでした。が、何だかマッケンローの話に…。
それにしてもウチのエメットさんとマッケンローさん。実際にこんな感じの人たちが同じ職場にいたら、絶対うまくいかないだろうと最近のウチの上司たちを見ながら思ったり…。エメットがあまり気にしない性格で、マッケンローもなるべく目くじら立てないようにしてるからどうにかなってるんだ。きっと。うん。積年の恨みは怖いですね。
(2008/01/04 UP)
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