*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*

029: ちりぢりに

坊=セオ 2主=カイ





 どこからか入り込んだ秋風がさわりとシーナの短い髪を撫でていった。城のホールに射し込む日差しは白い床石に反射して眩しく、ひんやりとした晩秋の空気を暖めてくれている。
 流れる空気は穏やかな昼下がりの、緩んだような膨らんだようなもの。
 視界の端正な女性の姿が入って思わず視線で追ったが、その傍らに連れ合いらしき男の姿があるのを見留めて大きく肩を落とした。僅かに力の抜けた腕に抱えた書類の重みがずしりと懸かって一層気が滅入る。平和だ。良いことなのだが少し恨めしくもある。
 足取り重く、数週間前まで小憎らしい風使いの少年が立っていた位置を何となく横目で見ながらホールを横切ろうとしたところで、見知った姿を見つけた。ひらりと手を振る簡素な旅装束姿。
「セオ、来てたのか」
「やあ、シーナ。久し振り。忙しそうだな」
「あぁ、メチャクチャ忙しいぞ」
 うんざりとした様子で書類を示してみせるシーナに、セオはにこりと笑んでみせた。満面のそれはいっそ胡散臭く、口調はどこまでも楽しげに。
「頼りにされて良い事じゃないか」
「お前な…」
 くつくつとセオのから笑いが零れる
 尤も、シーナは基本的にトラン側の人間だと認識されているので、国の行く末を決めている今、重要な話し合いに呼ばれることはない。各地の調査や書類の整理を手伝っている程度だ。けれどそういう人員ですら暫定政府には足りておらず、他の者同様に戦闘そのものが終わった時点でとっとと姿を晦まそうとしていた彼をアップルが捕まえてこき使っているのが現状だ。シーナも妙な所でな性分をしているらしく、まかせたと言われてしまうと逃げられなかった。その調子で幾度か逃げ損ねている内にしっかり頭数に入れられてしまい、更に抜け辛い状況に陥っていた。報酬はきっちり払ってくれるので今後の旅の資金にするつもりで今ではすっかり諦めている。復興作業がどんなものか知っておくのも悪くないかと最近は思っているところだ。
 そんな経緯を思い起こして軽く溜息を吐いた。
「で、どうしたんだよ」
 書類を抱え直しながらシーナが聞く。ハイランド皇国と新都市同盟軍の戦争が終わってから、セオは再びグレッグミンスターの生家に戻っていたはずだ。これからどうするとも聞いていなかったが、今目の前に旅の準備を整えて立っているということは…。
「そろそろ出掛けるから、挨拶に寄ったんだ」
「もう出るのか。クレオさんは?」
「家に居る。…分かってて言っているだろう、シーナ」
「まあな。きっぱり答えたな、お前」
 言えば、仕方が無いだろうと言葉が返った。一緒には行けない、と。
「ふーん…。そんなもんか」
 まだそんなものかもしれない、と前方を見据える彼の眼差しを見ながらシーナは思う。
 重そうなのを見かねたのか、セオはシーナの荷物を幾らか取り上げてくれた。軽く礼を言えば肩を竦められた。
「それにしても随分と人が減ったな」
 不意にセオが周囲を見回してしみじみと言った。
「国中に出払ってるからな。おかげで人手不足で俺まで忙しい」
 戦争が終わって、平和になって。故郷に帰った者や、ここに来る以前のように旅に出た者も多く居た。だが少ないのは今だけだろう。きっとすぐにまた人で溢れ返るようになる。これからこの国で生きていく人達で一杯に。
「軍を抜けた者も多いんだろう」
「まあな。ま、今だけさ」
「そうだな」
 穏やかに城内を見回すセオの横顔に、シーナは確かに戦争は終わったのだと妙な実感を覚えた。その原因を胸中に探り、自分の中ですら彼は戦争の象徴だったのだと今更になって気付いた。
 ひたすらに勝利を求め、歯を食い縛りながらも前を向き続けていたかつてのリーダー。その彼と戦争が終わってからこんな風に穏やかに話す光景を3年前は想像していなかった。そしてあの頃得られなかった静かな笑みを、彼自身の努力の結果として自分は今目の前にしている。
 その笑顔を横目で見遣り、自分も大概友達甲斐のない奴だったらしいと軽く自己嫌悪に陥る
 じきに目的地である書庫に辿り着き、書類をどさりと机の上に置いた。こきりと肩を鳴らして筋肉を解す
 セオは改めてその束を見て、今回は止めておこうかなと言い出した。
「忙しそうだから挨拶はまた今度にするよ」
「今度って。まだしばらくは忙しいと思うぜ」
 ちらりと会議室の方向を見遣る。デュナン共和国の初代大統領に就任したカイが今日もそこで国の先行きを話し合っているはずだ。
「じゃあ、会う余裕が出来るまで何度でも来るよ」
「カイに怒られるぞ」
「それは次会う時が楽しみだ。…いや、やっぱりほとぼりが冷めた頃に来ようかな。怒られるのは当分勘弁してもらいたい」
 今回色々な人に怒られたから、とそんなことを素っ気なく呟く。
「おいおい、何年後の話だよ。ちゃんと顔利く間に来るんだろうな」
「駄目なら地道に検分されるよ。それはそれで面白そうだ。地方官と知り合いになって少しずつ上の人を紹介してもらって。最後にはカイの驚く顔が見られるんだな」
 その様を想像したのか、にやりと少し人の悪い笑みを零す。どうやらに声を掛けずに出る事を決めてしまったらしい。呆れて思わず半眼になってしまう。
「トランに行けば身元証明書くらい作れるだろう。その方が早いぜ」
「レパントたちが中央にいる間ならな」
 拘るでも無くさらりと言う彼の様子に、シーナは少し口を尖らせて、一度視線を外して迷って。
 まだ誰かに言うつもりはなかったのだけれど。
「…俺だって身元証明してやるぜ」
 シーナ、とセオが名を呼んだ。驚いた顔は一瞬だけですぐに笑ったのでシーナは逆に拍子抜けした。
「決めてたのか」
「…予測ついてたのか?」
「いや、何となくだけど。もしかしたらそのつもりがあるのかもしれない、て思ってただけだ」
 レパントが喜ぶな、と言うのにはそっぽを向いた。そんなつもりで決めたのではないし、彼と親の期待に添うとかそんな話はやはりしたくなかった。口には出さなくても、きっと心の底では気にしているような奴だから。
 そんなシーナを気にした様子もなく、セオは部屋の扉に手を掛けた。
「じゃあ、その時はお願いするよ」
 カイによろしく、と言い置いて彼はふわりと旅立った。
 他の多くの仲間と同じように、己の進む道へ。
 いつか再び出会う為に。
 あーあ、とシーナは溜息をついた。一足先に自分が怒られねばならないようだ。
 とりあえず友の旅の無事を祈り、他のことは考えないように努めた。平和平和、とどこか白けたように呟いて作業を開始した。



  了


 シーナと坊っさんの組み合わせも大好きです。
 以前にもどっかで書いた気がしますが、シーナは将来外相になります。んで結局生涯外国を歩き回ります。そんな人生。

(2007/01/04 UP)

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