*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*
068: 花
坊=セオ
風が
撒く 死の悲しみを
草が歌う
弔いの唄を
グレッグミンスターの東の一画、市街の
喧騒届かぬそこは、同じ街の中とは思えぬ程の静寂に満ちていた。あるのはただ、無数の
石碑ばかりだ。
ソニアはその中を歩いていた。押し黙った石と人の間を普段より緩い歩調で進む。靴で踏む草の感触は乾いて
脆く、音まで物悲しい。目的の場所までもあと少し、という所で、ソニアは足を止めた。
先客がいた。
「…ソニアさん」
近付く気配に気付いたのだろう、彼が振り向いてこちらを認める。
「戻っていたのか」
「3日前に。お元気そうで何よりです」
「お前も…無事なようだな、セオ」
「とりあえずは五体満足ですよ」
言って、彼は微苦笑を浮かべる。
セオ・マクドール。トランの英雄と呼ばれる少年。腐敗した旧帝国を打ち倒し、現政府の
礎を築いた者。
そして、父親殺しの名を負う者。
三年前に姿を消した彼が戻った事は、人伝に聞いていた。戻ってすぐに隣国に出掛けたとかで、今まで会う機会はなかったが。
ソニアが再び歩き出すと、それとすれ違うようにセオが離れていこうとした。
「もう行くのか?」
「僕が居ても良いんですか?」
他意無く訊ねたのに、何気ない様子でそう返された。
ソニアは思わずセオを睨み付け、さっさと彼を追い越す。腹立たしさに一瞬身体がカッと燃えた。
「居れば良い! …お前は、あの方が愛した息子なのだから」
しかし、碑の前に立ったソニアは静かな気持ちでそれを見詰めていた。怒りは本当に一瞬だった。流れた時間と彼女の周囲の人々がそうさせてくれた。
「本当に、そう思いますか?」
「ああ。そう思う程度には、私はあの方の
傍にいたつもりだ」
「あなたはそれで良いんですか」
「私が出した結論に文句を付けるのか?」
じろりと横目で睨むと、セオは困ったように笑った。
「僕は」
「最期の時の事を皆から聞いた。三年、私は考えた。お前が口を出す事では無い」
言うだけ言って、ソニアは視線を前に戻す。
飾り気のない石碑だ。表面は滑らかに削られ整えられてはいるが、装飾は少ない。どっしりと構えた様子が亡き人を
彷彿させる。確かめるように、彼女は墓碑の文字を目で追った。
刻まれている名はテオ・マクドール。
今日は彼の命日だった。
セオの他にも先客があったらしく、墓前には既に幾つも花が供えられている。ソニアも持参してきた花束を、膝をついて供えた。手を組んで
瞑目する。
「綺麗ですね」
傍らに落ちてきた言葉に、後方をちらりと見上げた。彼の目は揺れる花弁に注がれている。風の揺れを追っているかのように、視線もどこか揺れていた。
「…クレオはどうした」
「後から来ます。取り寄せていた酒を受け取りに行ってるんです」
「酒?」
「今日のために、手配していたそうです」
「ラダイーダの蒸留酒か」
セオが頷く。彼の父が好きだった銘だ。
「だから、実は僕手ぶらで来たんですよ。…父上に花、と言うのが何だか変な気がしたし」
セオはおどけたように言ってから、やはり困ったように笑った。一瞬の強風に
煽られた服の
裾がばさりと大きな音を立てる。
「そういえば、クレオから聞きました。ここによく来て下さってるそうですね。ありがとうございます」
「別にお前に礼を言われるために来ていたわけでは無いが。…まぁ、せっかくの礼の言葉だ、受け取っておこう」
わざと尊大な調子で言った言葉にも、彼の笑みは変わらない。ソニアは眉をひそめて口を開きかけたが、結局何も言わなかった。墓碑に向き直ってもう一度祈りを捧げ、膝を払って
踵を返す。
「私は先に失礼する。クレオによろしく。また一緒に茶を飲もうと伝えておいてくれ」
「伝えます」
「…お前も、暇が出来たら来ると良い。テオ様に三年分の顔見せが終わったらな」
承諾の返事は一瞬の間を置いてから返ってきた。
黄昏時の向かい風で押し流されながら、草の音の中にそれを聞いた。
了
坊ちゃんの墓参り。
のはずが、ソニアさんの墓参りに。いや坊のでもあるのだけど。
クレオさんの出番は消えました。南無。
(2005/01/31 UP)
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