073: 油断
「タカ丸さん」
廊下を歩いていた斉藤タカ丸は、名を呼ばれて足を止めた。きょろりと周りを見回すと、近くの教室から同じ火薬委員会に所属する久々知兵助が顔を覗かせていた。
「どうしたのー? 久々知くん」
兵助は、ちょっと待って、と言い置いて一度顔を引っ込め、紙束を手にして戻ってきた。一番上の紙に掲げられた題目は火薬委員会予算案。ここ数回の委員会での話し合いの中心事案だ。
「委員会での話し合いの内容踏まえて、俺が作った予算案。目通しておいて。資料も付けてあるから」
「えっ、僕が?!」
思わず
素っ頓狂な声が出る。ばさりと渡された紙束は結構重い。編入生のタカ丸は、学年は一応4年生だが忍としての知識経験は1年生以下だ。委員会の仕事も最近ようやく一人でもこなせるようになってきたところだというのに。
「もし仮に来年もタカ丸さんが忍術学園にいるなら、予算案立てるの手伝ってもらいたいから、見ておいてほしいんだ。資料の方は薬品名や使用量の勉強になると思うし」
「もし仮に、て僕来年居ないかもって思われてるの……?」
「居ると思ってるよ。だから来年の為にも見ておいて、て言ってるじゃないか。あと意見あったら言って。じゃあよろしく」
言うだけ言ってさっさと去っていく兵助の背中を、久々知くーん、とタカ丸の情けない呼び声が追いかけたが、
凛とした後姿が振り返ることは無かった。
決戦の予算会議後。
生物委員会による毛虫攻撃に敗退した火薬委員会(+小松田)は、中庭に逃げてきていた。上着を脱いで虫を払い、ようやく一息つく。皆どっと疲れて座り込む中、2年の池田三郎次だけはひとり未だ身体をくねらせていた。
「どうした、三郎次」
「何か、全然、取れなくて〜」
兵助が内着の
裾も引っ張り出して払ってやると、コロリと黒い毛虫が転がり出てきた。大きく息を吐きながら三郎次もへたり込む。
「大丈夫か?」
「…うぅ、まだ背中がむずむずしてます」
「あ、背中赤くなっちゃってるよ」
タカ丸が裾をめくって言うのに、三郎次がえぇっと声を上げる。兵助も皮膚の状態を確認する。
「かぶれてるだけだと思うが、念の為保健室に行った方が良いな。抗炎症剤の塗り薬も一緒にもらってこよう」
へたり込んだままの三郎次を
促して保健室へ行こうとした兵助を、1年の二郭伊助が呼び止めた。
「僕が一緒に行ってきますよ。先輩、予算会議の準備で疲れてらっしゃるでしょう。
折角会議が終わったんだからゆっくりしてて下さい」
「じゃあ僕も一緒に行くよ。さっきのでお尻痛いから湿布薬が欲しいんだ」
小松田もよいしょっと掛け声をかけて立ち上がった。
擦っているのは田村三木ヱ門の撃った弾が当たった箇所だろう。
「すみません、頼みます」
保健室へ向かう3人の背を見送ると、兵助は溜めていた息を吐き出した。ガリリと髪をかき回して、再びその場に腰を下ろす。何だか妙に疲れた気分だった。予算ゼロな上にまともな抗議も出来なかった事実も、彼の負けん気を刺激している。
「くそ、はちの奴…」
「今回はやられたねー」
どこか
間延びしたような穏やかな声は、隣に座り込んだままだったタカ丸からだ。兵助は思わずそちらを
睨む。
「あんたも何で甘酒とか書いてるんだ」
「えーだって三郎次がさ、冬はすっごく寒いんですよーって前に言ってて。僕寒いのヤだもん」
「せめて防寒着とか書いてくれ」
「在庫調べるのには結局手先が一番冷えるでしょ。手袋してたら上手く調べれないし。だから身体の中からあったまるのが一番かなーって思ったんだけどなー」
へにょんとしたいつもの笑顔と共に言われた内容に、兵助はがっくりと首を垂れた。
「ごめんね、久々知くん」
「来年こき使う…」
「うん、頑張るよ。…頑張るからお手柔らかに頼むね」
最初はやる気を込めて。けれどすぐに力の抜けたのんびり声になってしまったタカ丸の宣言を聞きながら、兵助は頭をめぐらせる。
おそらくは会計委員会に提出する前に、確認を求めて資料一式を渡した時にやられたのだろう。あの後は実習や勉強が立て込んで、予算案をもう一度見直すような時間は無かった。まさか甘酒などとふざけたことを書き加えられるとは思ってもいなかったので、必要性をあまり感じなかったのもある。
会計委員長の潮江文次郎の言葉と経緯を思い出し、今年はこれで仕方が無いか、と気持ちを切り替えることにした。学園経費で
賄うというのなら、書類提出が多少面倒になるだろうが、きっちりと在庫を充実させてもらうことにする。その上で来年の予算会議への対策を練らなければ。兵助にはこのままの状態に甘んじるつもりは毛頭無かった。
しかしその前に雑費くらいは認めてもらわないと本当に困る。火薬の出庫表用の紙代や、火薬
壷の修繕費などはそちらで計上してあるのだ。これらすらも認められなければ、委員会活動そのものが立ち行かなくなってしまう。もう一度
直談判に行って、聞き入れられなければ顧問の土井先生にも協力してもらって。
今後の指針を決め、気を取り直して顔を上げようとしたら、つんっと髪が一束引っ張られる感触がして振り返った。見れば、タカ丸が身を乗り出して彼の髪を手に取り、愛おしそうに口付けているところだった。兵助くん、と名を呼ばれる。二人きりの時にだけされる呼ばれ方。
「ほんとはね、もう一個お金掛けずにあったまる方法思い付いてたんだけどね」
タカ丸は
悪戯っぽく目を細めて笑い、更に顔を寄せて兵助の耳元で一言
囁いた。
そうして顔を戻して、いつも通りのタカ丸の笑みに返されたのは、
蔑むような哀れむような冷たい視線だった。
「え、ちょっ、何その目?!」
「あんたの頭の中はそればっかりか…」
はーっと先刻以上に重い
溜息がついて出る。そんな兵助に、慌てたようにタカ丸が思い切り抱きついてきた。
「だって兵助くんのこと愛してるからだよ?! 俺男の子だもん、好きな子と気持ちいいこといっぱいしたいもん!」
「恥ずかしいことをでかい声で言うな!」
「ほんとなのに〜〜」
思わず拳で黙らせると、
拗ねて口を
尖らせる。その顔はとても年上とは思えない。
それでも
諦めずに兵助を抱きしめ、そっと髪に顔を埋めてくるその様子に、結局何も言わず手も出さず、彼のしたいようにさせてやった。しばらくじっとしていれば、兵助からのお許しの気配を感じたらしく、タカ丸が嬉しそうに小さく笑い声をあげて更にぎゅっと抱きしめる。
「ほんとにごめんね、兵助くん」
「…さっきのでチャラにしてやる」
必要以上に力が入った、と言えば、ちょっと泣きの入った声で、うん痛かった、と返ってきた。その声が何だか情けなくて思わずくつくつと笑えば、同じ声で、
「兵助くん、笑うなんてひどいよー」
と言うので、
宥めるように軽く背中を叩いてやる。予算会議の結果に少し荒れていた心が彼の体温に解かされていたので、その感謝の気持ちも幾らか込めた。
少し身を離して、キスをして。
兵助はほだされてるなと思いながらも、悪い気はしなかった。
了
落乱、タカくくの話でした。世の腐女子をたぎらせた17期の予算会議、火薬委員会小咄。
私を忍者の卵達にハメてくれた友人2名への捧げモノでした。どうせなので自サイトにも載せる。ついでに折角居るのだからと後輩たちも喋らせてみたり。別に伊助はタカ丸さんからの空気を読んだわけではありません。先輩想いなだけです。多分。
あと兵助くんの生真面目さを出そうとしたら、タカ丸さんがどっかのメタボに負けないくらいのKYになりかけて慌てて会話足したり。
とりあえずコレは友人2名に捧げ直します。いつも色々教えてくれてありがとう&今回はホント色々ありがとうございます!
(2009/07/26 UP)
ほんの少し加筆。ホントに少しです。自己満足。
(2009/09/07 UP)
back