081: かのひとを待つ
紡主=アルク
さわさわと、軽やかな風が頬を撫でていくのを感じた。
どんどん暖かくなっていくあちらと違って、こちらはもう秋も終わりに差し掛かっている。今日は風もほとんど無くて日の光が暖かいからと言って、こんなふうに寝ていてはいけないと分かっていた。たくさん動いて汗もかいた。どう考えても身体を冷やす。
それでも、隣に感じる包み込まれるような暖かな気配に、アルクは意識が遠ざかっていくのを止められなかった。
「……ド。トルワド」
幾度か名を呼ばれて、トルワドはようやく目を開けた。瞬きを二度程、目の前のロルフを見て、自分の左肩に頭を預けて眠るアルクを見て、あぁ、と納得の呟きを
零す。
「そうか、アルクを昼寝させるだけのつもりが、俺も寝てしまったのか」
「僕が近づいても起きないっていうのは、剣士としてどうなんだい」
「時代樹の近くだと、この樹の気配が強くていけないな。獣もあまり寄ってこないから安心と言えば安心なんだが」
トルワドは大きく枝を広げる樹を
仰いだ。アルク達に100年の時を越えさせること以外にも、いろいろと謎の多い樹だ。トルワドはあまり魔力を持っていないが、それでも幹に預けた背中からは大きな力の広がりを感じる。
「アルク君もよく寝ているね。まだ起きないなんて。トルワド、一体どんな扱き方をしたんだい?」
「アルクはいつでも真剣に挑んでくるから、こちらもつい力が入りすぎてしまうんだ。もともと疲れていたようだしな。向こうの状況はなかなか厳しいようだな」
トルワドは肩を動かさないよう気を付けながら、指の先をアルクの髪にそっと滑らせた。毛先に少しだけあるクセが、ピンッとトルワドの指を弾き、アルクの
瞼がピクリと揺れる。
「…そう。それなら、中に移動させて、もう少し寝させてあげようか。日が傾いてきたよ」
「そうだな、風邪を引かせたらミュラに怒られてしまう」
トルワドは腕に抱えていた自分の剣をロルフに預け、アルクの腕の中の剣も抜き取って、やはりこれもロルフに預けた。 それから、二人の身体に掛けていたトルワドの
外套でアルクの身体を包み込んで抱き上げる。稽古の時に防具を外したままだったので、少年は腕の中にすっぽりと収まった。
「おや、軽々だね。…アルク君そんなに軽いの?」
ロルフがじっと向けてくる視線に、トルワドは苦笑を返した。
「まだまだ細いからな。これから筋力がついていくさ。俺もアルクくらいの歳の頃はなかなか筋肉がつかなくて焦ったよ」
「ふーん、そんなものかな。その細腕でよくあのスピードと力が出せるね」
「それは流派の秘密だ」
冗談めかして笑ってみせるトルワドに、ロルフは肩を
竦めた。
湖の砦は100年目の怪物との戦いが終わったあと、全ての扉を閉ざしてあったが、アルクがこちらに来るようになってからは休憩用に幾つか開けてある。その内の一つの部屋に入り、トルワドは長椅子にアルクを下ろした。彼は未だ
頑なに目を開けようとしない。
「じゃあ僕はお茶でも
淹れて来るよ」
「あぁ、頼む」
ロルフは二人の剣を長椅子に立て掛けて、笑い含みの顔で部屋を出て行った。トルワドはそれを見送り、長椅子の傍に椅子を引き寄せ座る。
「で、君はまだ寝るのかな? ロルフの茶は美味しいぞ」
途端にアルクは顔を真っ赤にしてトルワドの外套に潜り込んだ。寝た振りをしていたのだ。
「き、気付いてたんですか?!」
「だからああやって君を運ぼうと思ったんだけどね。俺もさすがに、完全に意識のない君を抱き上げることは出来ないと思うよ」
外套から僅かに顔を覗かせたアルクに、トルワドはニコリと笑い掛ける。アルクはおずおずと外套から出て居住まいを正した。
「運んでくれてありがとうございました。すみません、甘えてばかりで」
「俺は役得だったよ。でも、どうして寝た振りをしてたんだ?」
言葉の前半部分が気になったものの、口を
挟む暇もなく重ねて問い掛けられて、アルクは視線を
彷徨わせる。
「あの……最初は半分くらい寝呆けてトルワドさん達の話を聞いてたんですけど。よく聞いてみたら僕の話ばかりしてるから、何だか起きるタイミング失って」
「ははは、それは悪かった。俺もロルフも、それだけ君のことを気に入っているんだよ」
「あ、ありがとうございます」
トルワドの晴れやかな笑顔と言葉に、アルクは照れたようにはにかんだ。肩の力の抜けたその様子に、トルワドは頬を緩める。
「よく眠れたか?」
「はい! 砦の皆に申し訳ないくらいに」
「これくらいは構わないだろう。疲れた顔をしている方が、皆を心配させる。また昼寝をしたくなったらおいで。ここは静かだからたくさん寝られるぞ」
「…すみません。ありがとうございます」
トルワドが頭を撫でると、アルクはくすぐったそうに少し首を竦め、けれど気持ち良さそうに目を細めた。そのまま髪を梳くように手を下ろすと、半ば無意識なのか猫のように頭を擦り寄せてくる。
思わず手を止めたところで、ココンッと扉をノックする音が響いた。
「おはよう、アルク君。よく眠れたみたいだね」
「ロルフさん。はい、すっきりしました」
笑顔を見せるアルクにロルフも笑顔を返し、三人分のカップをテーブルの上に置く。礼を言ってカップに手を伸ばすアルクをやはりにこにこと見守って、ロルフはトルワドの隣に椅子を引き寄せた。
「ロルフ、すまない。助かった」
「いーや、どういたしまして。…これでいいんだろう?」
「あぁ。ありがとう」
小さな声を素早く交わし、トルワドもカップに取って暖かいハーブティをゆっくりと飲んだ。広がる香気と胃の
腑に落ちていく熱に、次第に
鼓動が落ち着きを取り戻していく。最後にふっと息を吐いて、視線を上げた。
「アルク、そろそろ帰った方がいい。仲間が君を待っている」
「そうですね。今日もありがとうございました」
アルクはまだ膝に掛けたままだった外套を手早く綺麗に二つ折りにし、トルワドに手渡した。
部屋を出て、途中で壁際に放置していた防具を拾って。
時代樹の前で、アルクはいつものようにトルワドとロルフを振り返る。
「ミュラさん達によろしく」
「またいつでもおいで。俺達に出来ることなら力になるから」
「はい! また来ます」
向けられる真っ直ぐな視線に、トルワドは目を
眇めた。
力の発動を示す時代樹の光が、落ちかけた西日と重なって強く目を射て瞼を閉じた。再び目を開けた時には、もう彼はいない。
「じゃあ、僕はカップを片付けてくるよ」
「悪いな」
背中で扉の閉まる音を聞きながら、トルワドは手に持ったままの外套を見る。青色のはずのそれが、西日で全く違う色味の暗色に沈んでいる。
「寒いな」
呟くように吐き出して、トルワドは外套を羽織ってぐっと肩の辺りを押さえた。
どうか。どうか、この熱が消えぬ内に、
「早く
、…君に会いたい」
了
100年前の英雄さまが大層乙女になりました。カッコ良いトルワドさん好きな方々、申し訳ありませんorz
トル主というよりトル→主ですね。本当はトル→→←主くらいのバランスですが主の矢印が曖昧になってます。元ネタは、ツイッターでいつもセンスある呟きをされるコノエさんのツイートです。ツイートをお見かけしてから大分時間掛かりました。相変わらずの遅筆ぶりですみません。
にんたまと平行していくことになるので、紡時をどこまで形に出来るか分かりませんが、もうちょっと書いてみたいです。
(2012/04/17 UP)
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