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087: めざめ







 夜の森は静かで深い。
 降るような静寂の中に、仰臥している男が一人。
 高く生い茂った草を押分け寝そべり、死んだように微動だにしない。長々と投げ出された手足を被うローブがくたりと広がっている。
 さわさわと梢が騒いで風の動きを知らせる。男の淡い色の前髪も微かに揺れた。
 それに誘われたかのように、男がするりと目を開けた。茫洋と、梢と覗く星屑を映す。
 依然風は梢を揺らしている。葉の擦れ合う小さな総音。そこに微かに異音が雑じった。幽かな、虫の音のような。
 否、金属片の触れ合う高い音。
   …ノィン?」
 ちり、と言う小さな音と共に一匹の猫が音も無く舞い降りた。
 艶やかな黒の毛並みが星明りを弾き撒く。
「どうかしたのか?」
 男は再び目を閉ざした。口許以外は全く動かさない。それでも音は明瞭だった。
 答えるように、猫の尻尾の先に結ばれた銀の小さな鈴がちりりと鳴いた。
  煩いぞ」
 もう一度、鈴が鳴く。
 それで男はようやく身を起こし、己のすぐ傍らにまで寄って来ていた黒猫を斜に睨む。如何にも不機嫌そうな半眼が、男の顔のぺらっとした印象を更に深めた。
「分かったよ、起きれば良いんだろう? で、どうしたんだ?」
  森の西の外れに落し物が。
 鼓膜を直接震わせているかのように、男の耳の奥で音が響いた。鈴の音に無理矢理音階をつけたような、そんな声だ。
「落し物?」
  人の子が、一人。旅の者のようです。
「捨て置け」
 さっくりと言い捨てて再び寝転がった男の腕に、猫は前足を乗せた。尻尾の鈴がちりんと一声鳴いた。
「重い」
  そのように創ったのは貴方ですよ、魔術師さま。
 ちきんと鈴で主の腕をはたいてから、使い魔たる黒猫は前足を退けた。
  お暇でいらっしゃるのでしょう? する事が出来たと喜ばれれば宜しいのですよ。
 猫特有のしなやかな動きに尻尾を揺らして鈴を鳴らせる。軽い音色が跳ねる。音は広がらず、その場に砕けるように消えた。
 黒猫は主にくるりと背を向けて、聳える夏草の間に溶け入った。暫しの後に、草の向こうで再び鈴が鳴る。また暫くして更に遠退いた場所から三度。
 魔術師は鈴が四度鳴るまで瞑目して仰臥したままだったが、結局立ち上がって使い魔の後を追った。小さく舌打ちをしてローブのを払う。眉間と捻じ曲がった口の端は凶悪だが、草を踏み分ける足運びは優しかった。
 小波のような音と共に夏草の一帯を抜けて、深緑の苔の上の黒くしなやかな背を見つけた。
 猫は顔を半分だけ振り返らせてふわりと尾を振った。今度は鈴は鳴らず、彼女はすぐに顔を前に戻して軽やかに、夜露に濡れた苔の大地を渡っていく。
「……何故私が旅の子供なんぞを助けなければいけないんだ」
  ここは貴方の森です。務めはきちんと果たしてくださいませ。
 咎めるように鈴が一声鳴く。
「知るか。私が拾っても拾わなくとも末路は同じだ。いつかは死ぬ。
 それより、ノィン、私の日課の邪魔をするなといつも言っているだろう」
  息抜きが過ぎれば栓の仕方を忘れますよ?
「私がそれを見誤るとでも言うのか」
  、魔術に関して過信は最大の敵だと、いつもご自分で仰っているではありませんか。
 ちろりと己を振り向く黒猫を、魔術師は睨め付け見返した。
「過信ではない。確信だ」
  過信ですよ、そう言い切っておしまいになるのは。
「口が減らない上に主を信じないとは、どういう使い魔だ」
  私をそのように創られたのは貴方ですよ。先程も申し上げました。
 憮然としてぼやく主に、使い魔は尻尾をピンと立てて澄まして答えた。
 本当は、素体にした物の性質も多少影響しているのだが、彼女の性格等を知りながら使役し続けているのは彼自身だ。
「まったく、本当に口喧嘩のし甲斐のある使い魔だな」
 魔術師はずかずか歩いて使い魔を追い越す。
 猫は薄く翠の両眼を細めて、鈴を微かに揺らした。軽く駆けて主の横に並ぶ。
 やがて辿り着いた場所に居たのは、まだ十代前半くらいの少年だった。木の根に頭を預けて横になっている。両目は固く閉じられ、星明りに浮かぶ顔は青白い。身体を覆う外套で場所は分からないが、怪我をしているらしかった。血の匂いがした。
「……すっごい、めんどくさい予感がする」
 心底嫌そうな顔でぼそりと呟いた魔術師を、黒猫は見上げる。
  面倒、ですか?
「拾いたくないな…」
 やだなーとか口の中でぼやきながら、魔術師は子供を抱え上げた。近くに転がっていた少年の荷は、呪で浮かせて持って行く事にする。
「あーホント、面倒そうな感じだ」
  主?
 愚痴りながら見上げた夜空は深く澄んでいて、魔術師は胸の奥に妙に疼くのを感じた。痛いような悲しいような騒がしいような、そんな疼き。
 嫌だな、ともう一度ごちて己の住処の方へと足を向けた。


 そして勿論、魔術師の予感は当たり、彼にとって酷く面倒な騒ぎが彼の身の上に降って来るのだが。
 それはもう少し先の話…   







 随分以前に考えていたネタを引っ張り出し。

 この後の展開が思い付かなくて闇に葬っていたネタです。でもキャラ自体は割と好きだったのでちょっと掘り起こしてみた…んですが、魔術師の性格が物凄く変わってしまってる……。ここまで趣味丸出しな性格にしてしまって良いものか。
 こういう主従のやり取りが結構好きです。だから某小説の雁国主従とか慶国主従とかのやり取り好きです。
 結局何が書きたかったって、雰囲気と会話が書きたかったんです。オチ無し…。100題だし大目に見てください〜。

(2003/10/21 UP)

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