エルリック兄弟のダブリスでの朝は、メイスンの大声で始まる。
「おはよう、エドワード、アルフォンス! 起きてるかい」
「おはようございます、メイスンさん」
「おはよーございます」
メイスンが大きなノックと共に部屋の扉を開けると、二人はちょうど着替え終えた所だった。
「うん、感心感心」
満足げに頷き仕事場に向かう彼を追って、兄弟も部屋を出る。修行を始めたばかりの頃は師の
扱きに身体が付いていかず、メイスンが起こしに来てもまだ寝ている事が多かったが、子供らしい順応力で彼らはすぐに体力を付けていった。今では起こされる事はほとんど無くなっている。
身支度を整えてキッチンに入ると、師のイズミが卵を焼いていた。
「おはようございます」
「おはよう」
キッチンにはいつものように良い匂いが
溢れている。エドワードはパンを焼き、アルフォンスは皿の準備をする。並べられた皿にイズミが卵を盛り、エドワードがパンを積み上げる。流れるような作業には慣れが感じられた。誰一人として壊す事無く、当然のように仕事をこなしていく。
「私は午前中出掛けてくるが、お前達もちゃんと出掛けるんだぞ。家で研究書を読む程修行がしたいなら、明日は特訓メニューDコースにしてやるからな」
「分かってますよ、師匠」
「今日は一日皆と遊ぶって約束してますから」
微妙に引き
攣った顔で弟子二人は答える。
仕事場で朝の支度をしていたシグとメイスンも戻ってきた。縦も横も大きい彼らが入ってくるとキッチンが一気に狭くなる。
最後の仕上げに、兄弟は各々ミルクを注いで席に付いた。エドワードも嫌そうな顔をしながらちゃんとミルクを注いでいる。修行を始めたばかりの頃に一週間続けた、師匠とのミルク闘争に負けたからだ。時々
隙を見ては
懲りずにミルクをこっそり処分しようとすることもあるが、
大概はイズミの鉄拳を受けて失敗に終わる。
全員が席に付き、一同で唱和する。
「いただきます」
かちゃかちゃと食器が
賑やかに歌い出した。
エドワードとアルフォンス。
イズミは二人の子供を弟子としてから、最初の一ヶ月は孤島に放り出して錬金術の根幹を理解させた。
次の三か月は組み手や身体づくりをしながら基礎理論を教えた。
そして今は五か月目、練成を見てやる段階にまで入ってきていた。
元々書物を読みある程度の知識は持っていた所為か、兄弟の飲み込みは早かった。間違って覚えていた部分も訂正されればすぐに覚えた。子供らはとにかく知識を、技術を得ようと必死だった。
授業のペースは週五日。イズミの体調を考えてのものである。
毎週二日ある休みの日、兄弟は外に放り出される。師
曰く「子供は外で遊べ。たまには静かな時間を過ごさせろ」だそうだ。おかげで兄弟はダブリスにも友達が多くいる。
この日も時間を忘れて遊び回り、ふと見上げた空は赤く染まっていた。どこかで鳥の声が遠く響く。友達が一人二人と帰り始めた。母に名を呼ばれ手招かれて。
並んで歩き、今日の出来事を熱心に報告する彼らの後ろ姿を、エドワードとアルフォンスは見送った。
羨ましくも思ったが彼らは知っていた。母の代わりが欲しいのではなく、母自身を自分達の手で取り戻すのだと。あの温かい声を、手を。
その為に、ここまで来たのだ。
「帰ろうぜ、アル。腹減っちまった」
「うん。先生達待ってるね」
「晩飯何かな」
二人は共に駆け出した。
疲れていながらも元気良く帰って来たエドワードとアルフォンスをメイスンが出迎えた。
「お帰りー。もうすぐ夕飯が出来るよ。今夜はシチューだ」
好物の名と匂いに二人は歓声を上げる。子供達の帰宅に、静かだった家の中が
俄かに騒がしくなる。その気配と物音にイズミも自室の扉を開けた。
「お帰り、二人共」
二人はパッと振り返り、笑顔で言った。
「ただいま、師匠」
「ただいま、母さん」
一瞬全てが凍り付き、兄弟は強張った顔付きでお互いを見た。彼らの声は兄弟だけによく似ていて、同時に発せられた言葉は、音からではどちらのものか分からない。分かるのは言った当人達だけだ。しかし、どちらも戸惑った顔をしている。分からない、と言うように。
「兄さん…」
「アル…」
固まった空気を吹き飛ばしたのはイズミだった。
「誰が母さんだっ!」
兄弟の頭に鈍い音と共に
拳骨を落とし、いつもの迫力ある声で怒鳴りつける。
「私はあんた達みたいな生意気なガキ共を産んだ覚えはないよ! 大体いつまでもこんな所に突っ立ってるんじゃないっ。外から帰って来たらまず手洗いとうがいをしろっていつも言っているだろう!」
「は、はいっ」
「ごめんなさい!」
師の
剣幕に驚き飛び上がり、エドワードとアルフォンスは慌てて洗面所へと駆け込んでいった。その後ろ姿を見送って、イズミはふんっと鼻を鳴らす。子供達の足音の後に盛大な騒音が続いた。転んで棚にでも突っ込んだのだろう、痛がる声が遅れて届く。イズミがちゃんと片付けておくよう指示した怒鳴り声に、二重音声が返事をする。
一瞬の静寂。
「イズミ…」
「ん? 何、あんた」
いつの間にか店の裏口から顔を出していたシグを、イズミは普段と変わらぬ様子で振り返り苦笑を
零す。
「何て顔してるの」
シグもメイスンもひどく心配そうに彼女を見ていた。身体の大きな男達なのに、そんな顔をしていると小さく見えるから不思議だ。
「大丈夫。私は大丈夫よ。『お母さん』て呼ばれるのには憧れたけど、それを
潰したのは自分の罪だ。それは私が一生抱えていかなくちゃいけないこと。あの子達に押し付けることじゃない」
ついと顔を上げて奥を見遣る。洗面所でひっくり返した物を片付けているはずの弟子達を見透かすように。
「何て呼ばれるかじゃない、私がどんな罪を負っているかじゃない。私はあの子達の師匠で、あの子達を見ててやる責任がある。ただそれだけのことよ。そして、あの子達は人が成長していくのを見守る喜びを教えてくれた。感謝してるよ」
にっと口の端を大きく吊り上げて笑い、彼女はキッチンに入る。すれ違い様にメイスンの肩を軽く叩いて促がし、
「さ、仕上げてしまおう。あとは何をするんだい?」
「あ、はい。えーっと…」
メイスンが慌てて後を追い、シグはその背を見守って、
店仕舞の準備を始めた。
途中で洗面所を覗いて、大きな手で二人の子供の頭を
撫でることも忘れなかった。
まだ小さな二人は、シグの手の下で気まずげに目を見合わせた。
けれど促されて廊下へと出る時には、はっきりと前を向いていた。かつてイズミに
師事を願い出た時のように、強い光を宿した目で。
了
最終巻感動した! すごいよ大団円だよ!
と、浮かれた後にふと自分のサイト見たら何か書き掛けの鋼の話が…。
これ、さすがにここで仕上げとかないとヤバくない…?
と青褪め、あわわわと最後の仕上げをしました。(in 病院) 他のUPに紛れてこっそり上げておきます。
えーっと…今更ながらでまじすいません、ゆうり。
何で仕上がらなかったかというと…子供を見守る大人の気持ちって奴に何かちょっと確信が持てなかったからです。それでちょっと寝かしてみたんですが、うっかり寝かし過ぎた…。
次の世代が育っていく感動とか、その辺をもっと書いてみたかったんですが、自分がその辺まだ未熟なのでうまくいきませんでした。いつかああいう衝動も言葉にしたい。
(2010/11/30 UP)
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