*読み難そうな漢字には、ポップアップで読みが出るようにしてあります。*
A Stranger
俺がそいつと一緒に居たのは多分半年くらいの間。
癖の無い真っ直ぐな黒髪と
勁い光の
漆黒の
双眸を、よく
憶えている。
* * * *
最初は、そう。
隊商の護衛の仕事の途中、思い掛けなく
莫迦みたいに強いモンスターに出くわして皆仲良く全滅し掛けた時に、あいつに助けられた。
空間を
疾風が走り、ワイバーンの
体躯を押し包む。
烈風は殺傷能力を伴って敵を切り裂き、分厚く頑丈なはずのワイバーンの表皮に幾多の赤い筋を刻んだ。
一瞬遅れて人影が視界を過ぎる。
地面を強く蹴って伸び上がり、長い棒のような物を振り被ってワイバーンの長い首に打ち下ろす。それはどんな力だったのか、飛竜は大きく首を
撓ませて、もんどりうって地面に落ちた。大きな地響きが腹に
堪えた。
人影は膝で充分に衝撃を吸収して難なく地面に下り立ち、くるりとこちらを振り向いた。
横日に照らされたその姿に、ふと何かのイメージが重なった気がしたが、それは発せられた声に霧散した。
「大丈夫ですか?」
暗い藍色のバンダナの端と、灰緑色の
外套が風に
翻る。
こちらを向いた顔は少年のものだった。高くも低くも無い声はよく透り耳に快い。理知的な切れ長の黒の双眸は、旅慣れた様子とは相反して荒んだ印象が無く涼やかだ。
「あぁ、何とかな。二、三人やられたが…荷の方はとりあえず無事だな」
傭兵のまとめ役をしている男が
億劫そうに腰を上げながら答えた。
周囲を見回せば、確かにあれだけ混乱していた割には被害が少ない。何頭か馬がやられていたり逃げてしまったり、馬車が横倒しになっていたりするが、こんなものはまだマシな方だ。
「さすがに馬がちっと足らねぇか」
まとめ役――ダレイズは舌を鳴らす。
そこかしこで皆が身体を起こし出した。互いに支え合ったりしながら、どうにか態勢を立て直し始める。
「あんた、ありがとな。助かったぜ」
ダレイズは少年を振り向いて礼を告げた。
少年は地面に転がった幾つかの
骸を見ながら、小さな声で「いや…」と言った。寄せられた眉根が一瞬辛そうに歪んだ。
「ホントにありがとな。まさかこんな所でこんな奴に出くわすとは思ってもいなかったからよ」
「…確かに、こんな所までワイバーンが降りてくるなんて珍しい」
ワイバーンは普通山に住む。ここの近くには確かにワイバーンの住む山があったが、これまであいつらが降りてくるような事は無かった。
「ったく、間の悪い」
ブツブツ
零すダレイズの
傍らに、俺達の雇い主であるレッドウッドが寄って来た。ダレイズに二、三の指示を出して後方に遣り、自分は少年に向き直った。
「助けてくれてありがとう。礼を言う。正直、本当にダメかと思ったので」
レッドウッドは深々と頭を下げた。商人の割には
悠然とした雰囲気のある奴だった。
「泡を吹いて逃げてくる馬に行き会ったんです。腹に
爪痕があったので、モンスターに襲われたんだと思って」
「本当に何とお礼を言って良いか。私は商人をしている、レッドウッド・ノルクと言う。少し先にいつも野営に使っている場所があって、そこで休息を取ろうと思っているのだが、ご一緒に如何か?」
「そう、ですね…。ではお言葉に甘えさせて頂きます。俺はセオと言います」
言って、少年は微かに笑んだ。
結局、少年――セオもレッドウッド(因みにこれは姓だ。ノルクが名である)に雇われることになった。今回の戦闘で失った人員の補充だ。その実力は既に証明されているし、後一ヶ月は掛かる行程への保険が欲しかったのだろう。今回のような事はそう滅多に起こる事では無いと分かっていても、それでもやはり怖くなるものだ。
ワイバーンの襲撃の後、レッドウッドは野営地で傭兵達を集めた。生き残った傭兵は五人だった。
レッドウッドは改めてセオを皆に紹介した。
「セオが隊に加わる事になった。配置はダレイズに任せる。それから各自傷の状態を報告してくれ。セオは治癒魔法も少し使えるそうだ、何人かは治せるらしい」
との事で、傭兵を優先に五人に治癒魔法をかけてもらった。効き目は随分良く、皆が目を丸くした。
半刻の休憩が告げられると、まずダレイズがセオに話し掛けた。
「さっきはありがとな。改めて礼を言う。俺が傭兵のまとめ役をやってるダレイズだ」
「セオです。よろしく」
「とりあえずあっちで飯にしようや」
ダレイズは親指で後方を示した。そこには日が
熾してあり、鍋で簡単な汁物を作っていた。その周りに皆で腰を下ろし一通り自己紹介をする。
皆興味津々と言った顔でセオに注目していた。
「お前強いんだなぁ」
「ホント助かったぜ」
「あんたが居れば後の道のりは気が楽だ」
飲めとか食えとか色々勧められるのを笑顔で受け、セオはこれからお願いしますと丁寧に言った。
「最初の奴は何だったんだ? 何かすげぇ風が走ってったけど。あんなの見た事ねぇぞ」
「あれ紋章術だろ。東の…ハルモニアの辺りの魔法だよな」
鉱石の一種に魔力を持ったものがある。透明な水晶のような石の中に文様が浮かんでいるものだ。この辺りではそれを魔法石と呼び、赤ん坊の手程の大きさに砕いて使う。
大概は攻撃用で、石に宿った魔力を解放しながら相手に投げつける。石は一度使えばそれきりだ。
しかし、隣の大陸の大国ハルモニアではそれを封印球と呼ぶ。丸く削り出し、水晶球のように綺麗に
研磨するのだ。石に宿る魔力は“紋章”の形で人に移し宿され、紋章術と呼ばれる魔法を使用可能にする。そしてその紋章を宿している限り、魔法を使っても本人が休んで魔力を回復すれば、半永久的に使い続ける事が出来る。なかなか便利な技術である。
半ば確信を持って訊ねた俺に、セオが驚いた顔を向けてきた。
「よく知ってますね。こちらの方では余り知られてないのに」
「俺も東の出身だからな」
「へぇ、奇遇ですね」
何だか嬉しいな、とセオは顔を
綻ばせた。それは本当に嬉しそうで、向けられたこちらの方が思わず照れ臭くなってしまった程だった。
* * * *
セオは物静かな少年だった。端正な顔立ちと落ち着いた所作。歳は十八、九くらいに見えたが、
随分大人びていた。それでも笑う時には笑い、怒る時には怒った。
細っこい身体をしていたが、最初に見た通りに戦闘の技術は高い。紋章術も
得手としている様だった。様だ、と言うのはあまり使う所を見なかったからだ。術は意外と体力と気力を食うのだそうだ。
屈託無く誰とでも話し、
生粋の商人であるレッドウッドともそれなりに話が合うようだった。妙に
博識な所為もあったのだろうが、本人の性質に因る所も多かったようだ。
とにかく変な奴、の一言に尽きた。
* * * *
セオの得物は棍だった。傭兵を
生業にしている者にしては珍しい武器だ。
「あぁ、棍使いって余り見ないな。こちらでは特に。俺は昔からこれだから、特に違和感を持った事は無かったけど」
確か野営をしている時。焚き火を一緒に囲みながら、俺はその黒塗りの金属の棒を眺めた。
「剣は?」
「使える」
「じゃあ何で棍を?」
訊くとセオは苦笑した。そんなに珍しいかな、とか小さく零していたので多分これまでに何度も同じ事を訊かれたのだろう。
「師匠がこれを一番得意となさっていた所為、かな。見せてもらった演舞と言うか型が、
凄く綺麗で憧れて、それで教えてもらった」
慣れると結構便利なんだ、と器用に棍を旋回してみせる。確かにリーチが長く、旋回や突き、振り払う等色々出来る。槍でも似た使い方は出来るだろうに、そちらを持たないのは結局何か
拘りがあるのだろう。
「しかし、棍使いで名前が『セオ』なんて、まるでトランの英雄だな」
「え…?」
一瞬セオの顔から全ての感情が抜け落ちた。
瞠目した後、ゆるりと口の端を歪めて笑みのようなものを作った。
「トランの、英雄…」
「そう。ハルモニアの南の方にトランって国があるんだけど…知ってるか?」
「…知ってる」
「ま、そのまんまなんだけどさ。その国の昔の英雄だよ。棍使いで、すっごい強かったんだってさ」
久々に東出身の者に会った所為だろう、セオに会ってから時々ガキの頃の事を思い出していた。その片隅にあった記憶だ。
祖父から聞いた英雄
譚。悪政を敷いていた悪い皇帝を倒した、若き英雄。
「ルダはトランの出身なのか?」
「いや、デュナンだ。トランの英雄の話は、祖父さんがよく話してくれたんだよ。若い頃にその英雄の軍で戦ってたらしくてさ。ま、年寄りの自慢話ってヤツだな」
俺は十歳頃までデュナンの祖父の元で育てられていた。父が流れの商人だったので、旅に付いていけないガキの頃は母と共にデュナンに落ち着いていたのだ。その後、父が新しい商売を求めてだとか言って大陸渡航を決め、一家で移り住んで今に至るのだが。
「デュナン…少年王の国、か」
「へぇ、詳しいな。そ、ホントか嘘かは知らないけど、不老の少年王が居たっつー国。と言っても俺があっちに居たのはガキの頃だけだったんだけどな。
セオもあの辺りの生まれか?」
訊くと、
緩い動作で
肯いた。
「俺は…トランの生まれだ」
「あ、そうなのか。じゃあ俺の説明なんて要らなかったな。そうならそうとさっさと言えよ」
「いや…俺はその話はあまり詳しくないんだ。昔、少し聞いた位で。トラン共和国が興った時の…解放戦争だったか? 懐かしいな……少し聞かせてくれないか?」
じっと、光る黒眼で見上げられて、何となく視線を外せなくなった。焚き火の光が黒眼の中で白く赤く揺れている。
「良いけど、俺もあんまり覚えてないぜ?」
それでもとセオが促すので、俺は記憶の底を引っ掻き回してみる。
解放戦争、トランの英雄、赤い棍使い。
「なぁ。あっちの言葉でさ、何か言ってみてくれないか。そしたら少しは思い出すかも」
「あちらの言葉、か…」
思い出しているのか、少し目を細めて口許に手を当てている。
「……
解放軍、
赤月帝国、…
トラン共和国」
「あぁ、そうそう。そんな音だった。トラン…
トラン、
の英雄」
耳の奥にかつて聞いた音が蘇る。
憧れた英雄。…優しく強い人。
「うん、ちょっと思い出せてきた。祖父さんその英雄の事を話す時、決まって優しい人だったって言ってたな。えーっと…元は貴族だか何だかの生まれなのに、よく自分で城ン中見回って、皆に声掛けてくれたって。で、優しいのに戦場では凄く頼りになって。スゲェ強かった、憧れたって言ってたな」
弛んで皺だらけの顔を
綻ばせて、懐かしそうに話す顔を思い出す。
その頃の俺には、目の前の少し
草臥れた感のある老人に若く未熟だった頃があるなんて想像出来なかったし、歳は取っていてもやはり祖父さんは“大人”で、その祖父さんが憧れたと言う人は、雲の上くらいに想像が付かずに
“凄い”印象を持ったものだった。半ばワケも分からずに憧れて、俺も強くなりたいとか思ったのだ。
「確かその英雄はすごく若かったとも聞いたな。その時、祖父さんもまだ二十歳になるかならないかくらいだったらしいけど、そいつは祖父さんよりも更に年下だったって」
そういえば自分はもうその歳をとっくに過ぎている。少し寂しいものがある。
「ルダのお祖父さんは、どうして解放軍に入ったんだ?」
「あ? あー何て言ってたかな…。祖父さんは元々はその辺の農民で、でも…ま、若かったんだな、えーっと帝国?のやり方が嫌で解放軍に入ったんだとさ。戦争一つ生き延びたんだから、すげぇモンだけど」
「お祖父さんは他に何か言ってなかったか? その解放戦争の事とか」
「どうだったかなぁ。聞き手がガキだからあんまり小難しい事は言わなかったしな」
「例えば、戦争したのに結局生活は変わらなかった、とかの
愚痴は?」
「いや、そんなふうには言ってなかったと思う。多少は良くなったみたいだぜ。税が軽くなって楽になったとか言ってた。でも祖父さん、数年でデュナンに移ったらしいから」
「何故?」
「えーっと農地耕作の技術交流?だったかな。国が支援して
推奨だか
誘致だかしたから、それで」
「そうか…。
悪かったな。色々変な事を聞いて」
矢継ぎ早な質問に
乞われるままに答えていたが、確かに質問内容は少々変だ。思い至るが大して不快でも無かったので、まぁいいかと首を横に振る。
「気にしてねぇよ。
寧ろ俺もよくこれだけ覚えてたと思った。自分で自分に感心してる」
茶化せば、隣りからは笑い声と俺の腕を小突く手。
「そういや祖父さんどうしたかなぁ。もう結構な歳のはずだから…さすがにダメかなぁ」
祖父はデュナンに残っている。距離がある上に海にまで隔てられては、身内の
訃報と言えどなかなか届くものでは無いだろう。いや、それ以前に俺が
随分長い間家に戻っていないのだ。知り得るはずも無い。
言いようの無い寂しさが込み上げて来て、誤魔化すように夜空を仰いだ。思い出したようにぱきりと木が
爆ぜ火の粉が舞う。
「…遠いな」
セオも
郷愁に駆られたのか、感情が
曖昧な、少し浮いたような声だった。
「一度あっちに戻ってみるのも良いかもな」
「…いつか、な」
静かな声が揺れて応えた。
「いつかは、必ずあの地へ帰ろう」
* * * *
それからも
暫くレッドウッドの下で護衛や用心棒の仕事をして、セオが旅立つと言ったのを機に、俺も発つ事にした。
レッドウッドの事務所で契約終了のサインをして最後の報酬を受け取り、二人で街の門を
潜った。目の前にパッとなだらかな起伏の平原が広がり、そこを渡ってきた風が顔に吹き付けて、服の裾を引っ張りながら通り過ぎていく。
俺は西へ。セオは北へ向かうと言う。
「ルダ、色々とありがとう」
セオが手を差し出して言った。
俺は一瞬驚いたが、すぐにその手を取り固く握手した。硬い武人の
掌の感触を革手袋越しにでも感じた。
「こっちこそありがとな。楽しかったぜ」
相手の顔に浮かぶ笑みに、こちらも自然と口の端が持ち上がった。
「またいつか会えると良いな」
「今度会う時はあっちかもな」
セオは
瞠目し、嬉しそうな泣きたそうな表情に崩れた。
「そうだな…。いつかあちらで…会おう」
「あぁ!」
最後にもう一度手を握り返し、放したその手を振り上げて別れの挨拶に換えた。
前に向き直る寸前に、視界の端で藍色のバンダナが翻った。
あいつは、元気だろうか。
了
坊っさん in異邦の地。
旅の途中の坊ちゃんです。見知らぬ土地で独り放浪。一度はやってみたくて、ずーっと前から手を付けてたんですが…なかなか書き進まなくて。
その上、色々余分なものもくっ付いてきてしまったので、話がちょっと横に逸れてます。
そう、余分なもの。
坊がルダに変な事訊いてるのには一応ワケがあって、その辺の裏事情を含めた坊っさん視点の話をいつか書きたいんですが。…さて、そこまで手が回るのか。
その辺を書く前に、まだ戦争の頃の話とかも幾つか書いてみてから手を出したいなとか阿呆なコトを考えてますので、…とりあえず今回の異邦人な坊っさんの雰囲気を、少しでも楽しんで頂けたら光栄です。
あ。言うまでも無い事ですが、隣りの大陸云々魔法石云々は勿論私のでっち上げですので、信じないで下さい。そんな公式設定ありません。
何か気付いた事、感想等がありましたら、どうぞお気軽に掲示板へ書き込みorメールをご利用下さい。あまり反応が無くて、実はちょっと寂しいので。どうぞ良しなに。
(2004/04/02 UP)
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