*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*

秋の夜長は







 放課後、兵助は焔硝蔵への道を走っていた。
 火気厳禁の焔硝蔵の中では日のある内でなければ仕事が出来ない。秋が深まりつつあるこの時季、日の入りの時間は確実に早まっている。冬程ではないにしろ、無駄に出来る時間など無いというのに、授業が長引いて遅れてしまった。何より待ちぼうけを食っているだろう後輩達を想って、兵助はとにかく急ぐ。
 左手に延びていた林が途切れ、焔硝蔵はその開けた場所の真ん中にどっしりと建っていた。委員会の後輩達の姿は、その吹きさらしの扉の前にあった。
「すまない、遅れた」
「いえ、お疲れ様です、久々知先輩」
 そう笑顔で迎えてくれた後輩二人を見て、気配が無いのは分かっていたが一応周囲を見回して、兵助は首を傾げた。
 目の前に居るのは、二年の池田三郎次と一年の二郭伊助。一人足りない。
「タカ丸さんはまだ来てないのか?」
「それが…」
 伊助は三郎次とチラリと視線を交わし、兵助に言った。



 ツンと鼻の奥を刺激する独特の匂い。戸を開けた途端に鼻についたそれに内心閉口しながら、兵助は医務室へ入る。
「失礼します」
「おや、久々知。どうしたんだい?」
 部屋に居たのは六年生で保健委員長の善法寺伊作だ。薬を処方していたらしく、左右に数種類の干し草を広げて薬研で細かく砕いている。校医の新野は夕餉を取りに行っているのか、席を外していた。
「斉藤が風邪でこちらに世話になっていると聞いたのですが、居ますか?」
「あぁ、その奥に居るよ。さっき食事を取って薬を飲んだから、もし寝ていたら起こさないようにね」
「はい」
 兵助は頷き、伊作が示した衝立の奥を覗き込む。そこには布団が四枚程敷けるスペースがあり、タカ丸はその一画に布団を延べて寝ていた。最初は眠っているように見えたが、兵助が傍らへ来ると気配を感じたのか、ふっと目を開けた。熱で意識がぼんやりしているらしく、視線が定まらずにフラフラしている。
「悪い、起こしたか」
 枕元に座り込みながら兵助が小さな声で訊くと、ようやくはっきりとした視線を寄越した。そして、ふわりと笑った。
「へーすけくん…」
 その顔と声に、兵助は思わず動きを止めた。それ程に無防備なものだった。ただただ嬉しさのみに染められた笑顔と、少し掠れた甘えたような声。普段兵助を甘やかしたがる彼からは聞いたことのないものだ。
「今日の委員会、行けなくてごめんね」
 いつもの優しい顔に戻って謝るタカ丸に、兵助は我に返る。
「病人が何言ってるんだ。お前の分まで三郎次と伊助が頑張ってくれたよ」
 兵助は軽く握った拳をタカ丸の額に下ろす。唐突な動きにか額に触れた感触にか、驚いたようにタカ丸が目を瞬かせる。
 だがには出さぬものの、兵助もこの年上の後輩に驚いていた。彼にタカ丸の風邪を報せたのは伊助だが、伊助は同級の乱太郎から聞いたのであり、その乱太郎に伝言を頼んだのはタカ丸自身だ。医務室への泊りを言い渡されてすぐに、委員会の仕事でその場に居た乱太郎に伝言を頼んだらしい。そんなところにまで気が回るのは、親の手伝いとは言え働いていた経験と、本人の性格故なのだろう。
「そっか…、二人にもお礼を言わないとなぁ」
 喋るだけで疲れるのか、タカ丸はふうっと息をついた。
 兵助はタカ丸の額の上に置いていた手の平を返して、そのままペタリと額に当てた。伝わる体温はじわりと熱い。
「兵助くんの手、気持ち良いなぁ」
 熱を測り終えて離れかけた手を、タカ丸がそっと押さえた。目を閉じて本当に心地良さそうに呟くのに、兵助は呆れて溜息をつく。阿呆、と思わず言葉が零れた
 タカ丸は再び目を開けると、眉を下げて笑った。
「最近夜が寒かったでしょ。気を付けてたつもりだったんだけど、まだ甘かったみたい」
「ちょうど疲れが出る頃だったんだろ。自分の不出来を嘆いてるがあったら、風邪治すことに専念しろ」
「…はーい」
 その物言いがおかしかったのか、タカ丸が肩を震わせて声無く笑う。兵助の太い眉が訝しげに寄った。
「何」
「兵助くんだなぁと思って嬉しくなっただけだよ」
「…何だよ、それ」
 寄せられた眉が更に寄って、顰め面になる。そんな兵助にとろりと柔らかな笑みを向けながら、タカ丸は重ねた時と同様に静かに手を放す。
「お見舞い、来てくれてありがとう」
「早く治せよ」
 タカ丸が小さく頷くのを見て、兵助は腰を上げた。お大事に、と言葉を残して衝立の横をすり抜ける。
 伊作は先と変わらず薬研でゴリゴリと干し草を砕いていた。
「すみません、お邪魔しました」
「いや。随分懐かれてるようだね」
 面白がるような彼に、兵助はそうですか?と首を傾げてみせる。
「歳を気にせず先輩扱いしてくれるのには助かってますね。仕事を教え易いし、委員会もまとめ易い」
「ふーん、そう、それは良かったね」
 目を細めて伊作が笑う。
 タカ丸と話している間、薬研の音が途切れることは無かったし二人の声は小さいものだったが、さてどこまで聞かれていたのか、と兵助は顔に出さずに思案する。別段タカ丸との関係を知られるのは構わないが、それをネタに面白もの好きの六年生面々にからかわれるのは御免被りたい
 これ以上何か言われる前に、と兵助は退散することにした。
「では先輩、斉藤のこと宜しく頼みます」
「ちゃんと元気にして帰すよ」
 何だか不穏な言い方だとは思ったが、善法寺伊作は根は優しい人物だ。彼の性分に賭けることに決めて兵助は医務室を後にした。無事に戻れよタカ丸さん、とも少し思った。
 外は虫の音が静かな大合唱をしている、そんな秋の夜長のこと。




  了



 定番の風邪ネタです。私はどうにもタカ丸さんを弱らせたくてしょうがないようです。ごめんね、タカ丸さん。
 …久々知さんが凹む話も書きたいなぁ。

 伊作について。
 別に伊作を黒い子だと思ってるわけではないです。優しい子だけど悪戯の楽しさを知らないわけではない、という感じ。無邪気に楽しむ分、時々性質が悪い、みたいな。
 薬研のこと。というか自分もモノは見たことあったけど名前は知らなかったので。楕円形の深皿みたいのに乾燥させた薬草入れて、円盤みたいなのを縦に使ってゴリゴリ砕く道具です。時代劇の薬問屋とかで見掛ける奴。
 もう一つついでに自己満な補足。
 タカ丸さんの編入が春〜夏の間くらい(収穫の為の秋休みがあるなら、田植えの為の休みもありそうだなぁ。で、タカ丸さんの編入はその時)というマイ設定があるので、秋はちょうど編入して半年経たないくらい、学園に慣れて少し気が緩んで疲れが出るのはこのくらいかなぁ。ということで久々知さんの「ちょうど疲れが出る頃だったんだろ」の台詞に繋がります。文章内に入らなかった。入れろ。

(2009/10/17 UP)

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