*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*
ページを捲る指
「あっれ、珍しいモンがある」
ラビはサイドテーブルの上の物を拾い上げた。革張りの、片手で持てる程の大きさの本。タイトルを見ると聖書だ。
紐の
栞は最初の5分の1程の所。
「あっ、それは…!」
何故か妙に慌てて、アレンが本に手を伸ばす。が、ラビが素直に返すはずもなく、伸ばした手は空を切って頭の上からは素知らぬ声。
「どうしたんさ、アレン。急に本なんて。字読むの苦手でしょ」
「………だから少しは慣れようかと思ったんですよ」
「へぇ、向学心
旺盛ですこと。頑張るさー」
ラビは
傍にあるアレンの頭をぐりぐりと撫でて本を開く。
見掛けによらず肉体派なアレンが本を読んでいるのを、仕事の資料以外では見たことがない。資料を読んでいる途中も、時折口語では使わない言葉にぶち当たっては眉を
僅かにひそめ読み飛ばし、結局あとでラビに
訊ねてきたりする。そんな時の口はとても見事なへの字形だ。きっと辞書の引き方も知らない。生まれてからずっと旅暮らしで、本を読むという習慣が無いのだから仕方のないことだろう。
「でも何で聖書なんさ? アレン、カミサマ信じてないのに」
「……そんなこと言いましたっけ」
「ん? いんや? 何となく。違った?」
「…昔、よく教会に泊めてもらうことがあって。その時に神父さまに読んでもらったんです。養父も時々話してくれたし。内容に
馴染みがあれば取っ付き易いかと思ったんです」
言葉はラビの二つ目の問いに対する答えを含んでいなかったが、多分外れていないのだろうと思って聞き直さずにおく。悔しいのか言いたくなかったのか、アレンの顔は背けられたままだ。ぺらりぺらりとページを捲っていると、ちらりと視線を寄越された。
「それ、返してくれませんか」
「まーいーじゃん」
ラビは次々とページを捲っていく。それは速読と言える速さのもので、アレンにはパラパラとページを眺めているようにしか見えないが、ラビの頭にはしっかりと内容が入っている。彼が過去に読んだのはギリシャ語で書かれたもので、英語だと何箇所か微妙にニュアンスが違う部分があって面白い。そう来るかと思ったり、それ違うんじゃね?と密やかに笑ったり。
「ラビ」
再びの呼び声は怒気すら含んだもので、さすがにやばいかとアレンを見れば案の定額の辺りに青筋でも浮いていそうな笑顔を貼り付けていた。
「ごめん、アレン。あ、そうだ。これ持って俺の部屋来ねぇ? 俺も読みたい本あるんさ」
「むかつくから止めておきます」
「え、むかつくって何が?」
訊ねる間に本を奪い返され、ラビは問答無用で部屋から追い出された。
「アレンー」
「読みたい本があるんでしょう? どうぞ心置きなく読んできて下さい」
そしてバタンっと鼻の先でドアを力一杯閉められた。それでももう一度ラビは呼び掛けてみるが、返答は得られなかった。有無を言わせぬ対応とアレンの表情から、これは押しても無理かと判断して、仕方なしに部屋へと戻ることにする。
むかつくって、やっぱり自分の苦手なことを目の前でさっさとこなされちゃうことを言ってるんだよなーと、少し途方に暮れた。だって自分はブックマンの弟子だから、これぐらいは出来ないとそれこそどうしようもないのに。アレンが早く、そんなこと気にならないくらいに読むのが速くなってくれれば良いのだけれど、彼はじっとしているのが結構苦手だからちょっと望みは遠いかもしれない。そう思ってやっぱり途方に暮れた。
ラビを閉め出してそのまま扉に手と頭をくっつけて。通路から自分の名を呼ぶ声が聞こえたが身動ぎ一つしてやらなかった。しばらくして足音と気配が遠ざかって、アレンはようやく息を吐き出した。
だって言いたくなかった。
本を読もうと思った切っ掛けはラビが本を好きだからだとか。分からない言葉を訊くのは自分の無知さ加減を曝け出してるようで嫌だっただとか。ページを捲る時の指が何だかカッコ良くて見惚れるのが悔しいだとか。自分が出来ないことを軽々と目の前でこなされてしまうのも悔しいだとか。ラビが本を読んでいる隣に居るのが時々無性に寂しいだとか。そんなこと。
絶対に言いたくなかった。
アレンさんはツンデレらしいです。
(2006/08/21 UP)
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