*読み難そうな漢字には、ポイントを置くとポップアップで読みが出るようにしてあります。*
暗闇月夜
月が明るい。
高く昇った満月が、周囲を灰色に照らしながら黙って地上を見下ろしている。見上げるこちらは仰向けに寝転がっているので、視界は強く輝く月と、月を
忌避するように少し離れて明滅する星々だけだ。
ぼうっとそれらを眺めていたマーシュはゆっくりと目を閉じた。寝起きの目に、満ちた月光は眩しかった。固い地面の上で寝た所為で身体の節々が不具合を訴え始め、ごろりと身体の向きを変える。再び開けた目に映ったのは、灰色の夜空と真っ黒い地平線。くっきりと引かれた境界線が視界を上下に走り、遠くから至るような圧力でもってマーシュに迫る。圧倒されて、身体が強張る。
「マーシュ?」
不意に背後から掛けられた声に、マーシュはびくりと跳ねた。強張りの残る身体を無理矢理
反して声の主を見る。
「珍しいな、起きたのか」
「エメット…」
声を掛けてきたのは、同じクランに属する人間族の青年だった。小さく残した
焚火の
傍に座り、長めの木の棒を手にしている。真夜中という時間の所為か、一日の疲れの所為か、いつもはくるくると楽しげに動いている眼が、今は静かにマーシュに注がれていた。
今回の旅でマーシュには五度目の野営だった。旅自体に慣れていないマーシュは、夕飯を食べるとすぐに泥の様に眠ってしまい、翌朝起こされるまで目覚めない。だからこうして途中で目が覚めた事にはマーシュ自身も驚いていた。
マーシュは
外套に
包まったまま起き上がり、エメットの隣に座り込んだ。
「今はエメットが見張り番をしてるの?」
「あぁ。さっきモーニと交代したところだ」
薪が燃え崩れたのを見て彼は木の枝を足す。火は小さいが、近くにいれば足先が温まってきた。
爆ぜる火と、隣の青年の存在を感じながら、マーシュは身を包む外套を握りしめた。先の光景を思い出す。
暗い空と黒い地平。
マーシュは数年前に似た景色を見た事があった。あれは確か学校のキャンプに参加した時だった。夜中に目が覚め、手洗いに行こうと一人外に出て。あの時周囲にあったのは、個々の見分けも付けられぬ黒色に延べられた森だったけれど、迫る不安感に差など無い。
その時のマーシュは、そのまま進む事も出来ず、同じテントに眠るクラスメートを起こして恐怖を分かつ事も出来ず、一人寝袋の中に
蹲り、結局半分泣きながらやはり一人で手洗い所まで駆け抜けた。
思い出した事柄に、マーシュは我知らず溜息を吐いた。
「何だ、眠れそうにないか?」
「え? う、うん。何だか目が冴えちゃったみたい」
「寝ていい時はちゃんと寝とけよ。自分の体調管理が出来ないと、クランの仕事は出来ないからな」
「うん、気を付けるよ」
そうは言ったものの、眠りは訪れそうに無い。居心地の悪さに
身動ぎをし、ちらりと隣を
見遣った。
「エメットは眠くないの? 寝るの好きだって言ってたよね」
「あ? そりゃ眠いけど。必要な事だからな、仕方ないさ」
「…僕、ホントに見張り番しなくて良いのかな。まだ旅に慣れてないから、夜になるとすぐに寝ちゃうけど、僕だけしないのはやっぱり皆に悪いよ」
「出来るのか?」
率直に訊かれてマーシュは言葉に詰まる。一人で寝ずに起きていられる自信は正直な所無い。だが、皆に振られている役割を自分だけしないというのは不安だ。自分がまだ認められていないと知らされる様で。
エメットは手を伸ばして、マーシュの頭を二、三度軽く叩いた。
「マーシュにはまだ無理だよ。これでも、ただ火を消さないようにしてるだけじゃないからな。周りに気を配って、いざとなったら皆が態勢を整えるまで踏ん張らなきゃならない。お前、まだ気配とかよく分かってないだろ」
剣の師でもある彼にきっぱりと断言され、マーシュは外套を掴んで縮こまった。落胆しているのが自分でもはっきりと分かる。だが少しだけ安堵もしていた。この夜の闇の中を一人で耐えられるとも思えなかった。
「お前はまだ他にも覚えなきゃいけない事がいっぱいあるだろ。焦らなくても、一個ずつやってきゃどうにかなるさ」
くしゃりとマーシュの髪を掻き混ぜてエメットは笑う。それを見上げながらマーシュは頷いた。
「水、飲んでもいいかな」
「どれだけ飲んだか、ちゃんと覚えてるか?」
「うん」
「飲んでも大丈夫そうか?」
「…一口だけなら、大丈夫だと思う」
「そっか。んじゃ飲んで寝ろ」
「うん」
マーシュはベルトに繋いである水筒を引き寄せ、水を含んでゆっくりと
嚥下する。乾いた
咽喉を通る時に少し痛んだが、身体は落ち着いたように思えた。
「寒いなら、モンブランにくっついて寝てみろよ。毛皮が暖かいし、この間風呂入ったばっかだから、結構毛並みが気持ち良いぜ。カロリーヌでも良いけどな。お前だったらカロリーヌも優しーく抱き締めてくれるぜ?」
「エ、エメット?!」
立ち上がり、元居た場所に戻ろうとしたマーシュは、後ろから追ってきた言葉に思わず振り返る。見ればエメットは、にやりと口の端を吊り上げて、楽しそうに両目に火の朱色を躍らせていた。
「そんな、僕、」
「大丈夫だって」
「クポ〜〜。モグがどーしたクポ〜?」
自分の名に反応したのか、モンブランが不意にむくりと起きた。眠たげに目を擦りながら、二人の方を向く。
「あ、モンブラン…」
「モンブラン、マーシュが寒くて寝れないらしいぜ。一緒に寝てやれよ」
「良いよ! 僕ちゃんと寝れるよ!」
「声でかいぞマーシュ」
「だってエメット」
「マーシュ〜? …分かったクポ。一緒に寝るクポ〜」
戸惑っている間に、モンブランは
寝惚けながらも勝手に納得してしまった。小さな手で自分の隣を示し、マーシュの名を呼ぶ。
マーシュはしばらく迷ってから、おずおずとした様子で示された場所に寝転がった。モンブランが外套の半分を掛けてくれたので、マーシュもその上から己の外套を被せ直す。大きくない外套に収まるために、身体は自然と寄り添うように近付いた。
モンブランの体温をすぐ傍に感じ、二人分の外套に包まれて。
眺めるエメットの視線に気付く暇も無く、マーシュは再び眠りへと落ちていった。
すぐに聞こえ始めた二人の寝息に、エメットは良いなぁと呟き伸びをして、満月に向かって大きな欠伸を吐き出した。こんな夜はきっと穏やかなままで、眠らずにいるのはきっと大変だ。お仕事、責任、と呪文の様にエメットは二言呟いた。
了
トルコ旅行一日目の夜は、ちょうど満月でした。日暮れ前から移動を始めてバスに揺られる事4時間余、その間特にすることもなく、ぼーっと月が昇ってくのを眺めながら、頭の中では野営をするナッツクラン皆さまや坊っさんのイメージが…。
というコトで、トルコ行ってきました記念SSでございます。エメットさん万歳☆
今回書く時に気を付けたこと。エメットさんをカッコ良くし過ぎない。ウチのエメットさんは結構おバカなのです。他の方が描かれるエメットさんって大概とってもカッコ良いのに、なんでウチはこんなんなんでしょうね…。いやまぁ、こうしてるのは自分なんですけどー…ははは(乾笑)。
ところで、本文中ではマーシュもエメットも気付いてませんが、マーシュ君は多分火の番も出来ません。扱い方知らないと思う。のでまずはそこからお勉強しなくてはいけないのですよ。先はまだまだ長いぞ、マーシュ君。
(2005/03/25 UP)
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