熱
顔も身体も顔に触れる外気も、全てがとにかく暑くて暑くて暑すぎて。
朦朧とする頭で早くこの時が過ぎてしまうのを願っていると、遠くからバタバタと走る足音が響いてきて、兵助は思わず眉をひそめた。兵助の枕元に座って
団扇で緩く風を送ってやっていた勘右衛門も音の方向を見遣る。
「あ、来たね」
「只でさえ暑いのに更に暑苦しいのが来るのか…」
「その通りだけど、あんなに必死で
健気じゃないか。あ、
躓いた」
足音がドタタッと乱れた。
「勘ちゃん、アレを止めてくれ…」
「やだよ。この暑いのにそんな疲れることしたくない」
二人がそんな遣り取りをしている内に、足音は開け放たれた戸口から
雪崩れ込んできた。断りの言葉もそこそこに部屋に駆け込み、そのままの勢いで喋り出す。
「兵助くん風邪引いたって?! 熱は? 吐き気とかしない? 大丈夫? 兵助く〜ん!」
「タカ丸さんうるさい…」
「まあまあタカ丸さん落ち着いて。兵助は大丈夫だから。こんな鈍い奴は熱じゃ死なないよ。はい、ここ座ってこれ持って。じゃああとよろしく。俺水汲んでくるから」
勘右衛門は手際良くタカ丸を座らせると、自分は近くに置いてあった桶と竹筒を取り上げた。戸口で二人を振り返り、
「タカ丸さん、兵助一応病人なんであんまりムチャさせないで下さいね。兵助、健闘を祈る」
そして彼は高く結い上げた髪をくるりと
翻して姿を消した。
「兵助くん、騒いでごめんね。熱、高いの?」
ぺたり、自身と兵助の額に手を置いて、タカ丸は熱を計り比べる。その手の下で兵助の太い眉が寄せられたのには気付かない。
「結構熱いね」
タカ丸は悲しげに表情を曇らせ、兵助の額に当てていた手で
慰めるように頭を
撫でた。上気した顔を覗き込んで優しく
訊ねる。
「何かして欲しいこととか、ある?」
「手…」
「え、なーに?」
「手、退けてくれ。熱い」
「えぇっごめんね!」
慌てて手を退ければ、風が手の平に当たってひんやりと涼しかった。汗をかいていたのだ。
「そっか、僕さっき走ってきたから身体火照ってるんだ」
「そうじゃなくてもあんた体温高いだろ。あんたの方こそ暑かったんじゃないのか?」
「ううん。兵助くんの熱だもん。全然気にならないよ〜」
「…あんたやっぱり馬鹿だな」
呆れて半眼になる兵助に、タカ丸は唇の端をふにゃりと持ち上げ、兵助くんに関することならね、と当然のことのように言う。
「だからね」
そう言ってタカ丸は不意に布団の中に潜りこみ、兵助に
覆い被さってぎゅっと抱き締めた。
「僕にうつしてくれていいよ〜」
「おいっ、ばか何するんだ、タカ丸さん! 熱い! 離れろ!」
タカ丸の腕の中で兵助はジタバタと暴れるが、熱の所為で力が入らず、振り払うことが出来なかった。抵抗する兵助に、何故かタカ丸は無言で
身動ぎもせず、ただ抱き締めている。
「タカ丸さん、いい加減にしろ。こんなんじゃ治るものも治らない」
「あはは、そうだよねぇ。ごめんね、兵助くん」
「…別に何もしなくていいから。そこにいて、団扇でも扇いでくれたらそれでいい」
「はーい、分かったよ〜」
」
ふいっとそっぽを向いてしまった兵助にタカ丸は笑う。向こうを向いてしまう前にチラリと見えた顔が、先程よりも赤く染まっているのが見えたからだ。
言いつけ通り、団扇で緩く風を送ってやりながら、それに合わせたようにゆっくりとした調子で口を開く。
「風邪早く治ると良いね」
「そうだな。…ありがとう、タカ丸さん」
「えー? 何が?」
「…何でもない。悪いけど寝るぞ」
「うん、いいよ。僕のことは気にしないで」
悪いな、と言ったきり兵助は黙り込み、その呼吸はやがて深いものに変わっていった。
兵助が寝入ってからもタカ丸は緩やかに団扇を扇いでいたが、しばらくして空いていた手を伸ばした。束ねられて尚豊かにたゆたう黒髪を一房、指先に絡める。
その動作は無意識の内に兵助の呼吸に合わせられ、気配を全く感じさせなかった。この無自覚の技能が彼の辻刈りを可能にし、忍の知識の全く持っていなかったにも関わらず4年に編入されるという異例の事態の一因となったのだが、本人にその自覚はない。
タカ丸は絡めた髪を指で撫でる。汗で少しべたついた感触は彼の髪結としての精神を刺激するが、
流石に今は何も出来ない。風邪が治ったらきっちりしっかり手入れさせてもらおうと勝手なことを心に決めて、尚も髪に触れる。
「兵助くん…」
小さく
零した呼びかけにも眠る人は眉ひとつ動かさない。
必要なことだけれど、それが無性に寂しかった。
「君を熱くしていいのは、俺だけなんだからね」
これもまた勝手な宣言をして、タカ丸は淡く苦く唇を歪ませた。
了
兵助くん夏風邪を引くの段でした。
いつぞやはタカ丸さんに風邪ひいてもらったので、今度は兵助くんに、と思ったのは一年以上前です(爆)。ぐだぐだずるずる伸びまして、本日のアップになりました。ぐだずるしてる間にだいぶ勘ちゃんのキャラが固定されたのだけが幸いです(苦笑)
腐ってないといいなぁ…。
(2012/06/26 UP)
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