降るはずのない雪
ガタゴトと
石畳に馬車が揺れる。窓の外は暗く寝静まった街並で、カーテンを持ち上げて外を覗いていたギルバートは吐息と共に景色を閉ざした。もうじき目的地に着く。
下ろした右手を、自分の膝の上で眠る人にそっと添えて支え直す。公爵家の馬車とはいえ身体を横たえるには狭く、無理な体勢を強いているのに、彼は
昏々と眠り続けている。血の気を失った白い顔色が彼の疲労の深さを物語っていた。ギルバートが腕を動かしたことで掛けてやっておいた黒いコートがずれて、肩口の包帯が覗いている。その白さに目を細めてコートを引っ張り上げた。
向かいの座席では、パンドラの同僚であるシャロンとブレイクがそれぞれ物思いに
耽っていた。普段は騒がしいブレイクが大人しいのは、寝ている人間がいることへの一応の
配慮だろうか。
「シャロン、ブレイク、頼みがある」
「何ですか、鴉
(レイヴン)」
「こいつが目を覚ましても、あの儀式の日から10年経っていることは黙っていて欲しい」
それはひいては、彼がギルバートであるということを明かさないということだ。
「それは…」
「オヤ、そんなことをしても無駄だと思いますけどネー。いずれはバレてしまいますよ?」
バカにしているのか面白がっているのか判断の付かない笑顔でブレイクが首を傾ける。シャロンも思案深げな表情だ。
「分かっている。しかしシャロンもブレイクもその見掛けで、ここはこいつの知らない土地だ。言った所ですぐには信じないだろうし、混乱が増すだけだろう。…折りを見て、オレから話す。だからそれまでは」
二人が不老であることを知っているギルバートでさえ、10年前と全く変わらぬ外見の彼らに囲まれていると、時々自分がどこにいるのか分からなくなりそうだった。ましてや膝の上の彼は少し前までチェインの存在すらも知らなかったのだ。契約の影響で年老いぬ身体になる者がいるなど、なかなか信じられることではない。
ブレイクは横目で己の主が微笑んでいるのを確かめてから、ヤレヤレといった様子で肩を
竦めて見せた。
「分かりました。任せまショウ? …君の場合、自分のことをバラすのが怖いだけでしょうけどネェ」
その言葉にギルバートはケタケタと笑うブレイクを強く
睨むが、いつもの
如くどこ吹く風だ。
「貴方の思うようになさると良いですわ、鴉」
「でも、黒うさぎ
(ビー ラビット)をご招待する方は私に任せて下さいネ。噂のうさぎさんと会えるのを楽しみにしているんですから」
「あぁ。そっちは任せるさ」
ガタリと大きく揺れて、膝の上の身体が少しずり落ちる。ギルバートは慌てて抱え戻し、その身体の小ささを思い知る。このことを実感するのは彼を取り戻してから何度目になるかもう分からない。かつては支えることが精一杯だったのに、今は抱え上げることすら出来る。
オズ=ベザリウス。10年前のあの悪夢のような日に見失った大切な主。
数刻前、再びこの世界へと戻ってきたオズはあの日の服のままで、左肩にはまだ
塞がり切らぬ傷を負っていた。ブレイクによれば、その傷は彼がアヴィスに堕とされた時にバスカヴィルに負わされたもので、傷の状態から彼にとっておそらく1日と経っていないことが推察された。
彼が闇の
牢獄と呼ばれる場所を
彷徨ったのがそれだけの時間だったのに安堵していいのか、これから彼の身に降りかかるであろう10年のタイムラグを嘆くべきなのか。ギルバートは混乱し続ける思考に無言で唇を噛んだ。
そもそも自分のことを彼に何と言えば良い。
「鴉、あまり考え込み過ぎてはいけませんわ。オズ様は大丈夫です。それはきっと、貴方が一番ご存知でしょう?」
「…そうだな。きっとこいつは受け入れる。10年間ずっと探し続けてきたが、こんな事態は想定していなかったからな。少し驚いているだけだ」
ギルバートは疲れの混じった吐息をついた。ふと馬車のスピードが緩んでいることに気付き、ようやくオズをゆっくりと休ませてやれることに安堵する。
「着いたようですね」
呟いたシャロンも少し穏やかな表情だった。
やがて馬車が完全に止まった。戸を開けば、広いアプローチの向こうにレインズワース家の別宅の立派な玄関扉が灯りの中に浮かび上がっていた。その扉をギルバートはオズを抱えて潜る。
これが一時の安息に過ぎないのは分かっている。その先に何があるかまだ分からないことも。それでも必ず主を護るという誓いを胸に、ギルバートは前を見据えた。
了
というわけでやってしまいました。パンドラ・ハーツ(以下PH)話その1。
きっと元漫画を知らない人でもちらりと設定を聞いただけで「あー、アンタが好きそうな話だね」と納得すること請け合いです。何でか妙にツボだったんです。オズとギルが。
とりあえず主従ということでこちらに置いてみます。別館行き(801)にするかは一先ず保留。主従は普通にお互い大事にしてても大好きですが、一回くらいはそんなのも…いえ、何でもありません。
PHは「12の白昼夢」というお題で書く予定です。お題配布元は
こちら(蒼羽織)。
それでは、宜しければしばしお付き合い下さいませ。
(2007/04/30 UP)
ギルバートさんがどうも10年前のあの日のことを思い出してないようなので、少し修正しました。
今回のは小さい差異だったので良かったですが、連載中の話で書くとこういうコトがちょっと怖いですね。普段はゲーム系ばっか書いてるので無駄に慌てそうになります。
(2008/05/06 修正)
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