夜明け前
まだ夜も明けきらぬ
彼者誰時、兵助は静かに目を開けて自室の障子戸の前に立った。秋の朝の、ひんやりと透き通った空気が頬を撫でるのを感じる。
戸の向こう側に、気配が一つ。
特に隠れるでもなく、妙にざらついた気配に太い眉を寄せながら、戸の横の撥ね上げ窓をほんの僅か上げてみる。
黎明の薄い光の中、独特の淡い色合いの髪が鈍く沈んでいた。
「何だ、タカ丸さんか。帰ってたのか」
急に戸を開けて目の前に立った兵助に、タカ丸は目を丸くした。
「あ…へいすけ、くん」
兵助は身体を横にずらして中を示す。
「そんなところに突っ立ってないで、入ればいいじゃないか」
「うん…ありがと」
言われるままにタカ丸は室内に入るが、その動きはどこかぎこちない。今更緊張している、なんてことはないはずなので、おそらく疲れているのだろう。タカ丸は長期の実習で忍術学園を離れていたのだから。そして戻ってすぐに兵助の所に来たのだろう。制服も足もまだ薄汚れて土が付いたままだ。
「ごめんね。起こしちゃったよね」
「まあ、あんな気配させて部屋の外に立たれたらな」
兵助は夜着の合わせから手を突っ込んでがりがりと腹を掻く。ついでに欠伸を一つしてから見遣れば、タカ丸は更にしょげたようだった。いつもの笑みを浮かべることも出来ずに、部屋の真ん中に突っ立っている。
兵助はぐるりと首を回して、ちょいっと指先で床を示した。
「タカ丸さん、座りなよ」
「いいの?」
「いいから」
神妙な顔で正座するのを
胡坐に替えさせて、兵助はその足の間にどっかと座った。
驚いて目を白黒させているだろうタカ丸の顔は、背を向けてしまっているので残念ながら見えない。
「へ、へいすけくん…? あっ、汚れちゃうよ!」
「朝寒くなってきたよな。こんな寒い時間に起こしたんだ、暖取らせろよ」
「……うん」
腹に回された両手が兵助を抱き締める。最初は恐る恐るだったのが、徐々に力を強めてきついくらいになったので、その手に触れて文句を言ったら少し緩んだ。タカ丸の手は冷たくがさついていた。
首筋にタカ丸の呼気を感じる。鼻先が押しつけられるのが分かった。
「兵助くん、どうしたの。優しいね」
「お前は俺を何だと思ってるんだ。…俺だって、後輩には優しくするさ」
「ふふ、俺は今は後輩の斉藤タカ丸?」
「そうだよ」
「そっか。ありがとう、先輩」
兵助の体温が移ったようで、徐々に背中も暖かくなってきた。内心ほっと息をついていると、首筋に今度は唇を押しつけられたのを感じて、手を伸ばして頭をはたく。
「調子に乗るな」
「先輩が優しくないよ〜」
阿呆、と返すと上げていた手を取られて、手の甲に口付けられた。肩越しに見れば、いつものように優しく細められる淡い色と目が合う。
「ただいま、兵助くん」
「おかえり」
触れるだけの口吸いは、少し埃っぽくて暖かった。
了
昨年9月の十色難波の無配ペーパー用に書いた小咄でした。朝晩が寒くなり始めた頃だったのでこういう。
(2013/01/27 UP)
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