*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*



晴れすぎた空。





「よし…、買い忘れてる物は無いな」
 メモと、腕に抱える袋から覗く品物を見比べて、テッドは大きく息を吐いた。
 頼まれた物が全て揃っている事を確認し、メモを袋のに落とし込む。それなりに重くなってきた袋の重量に、上腕強張り始めていた。抱えた物に圧迫されて少し息苦しい。
 空気を求めるように思わず上を見上げると、莫迦みたいに雲一つ無い青空が広がっていた。初冬の、熱の無い白い太陽の光が目を焼いた。
 テッドは一瞬目を眇めた。夕刻は近く、陽の位置は低い。光にまともに射貫かれた。
 視線をずらして街の広場を見て、口許を緩める。そこにあるのは長閑さだ。心の何処かは鈍い疼きを覚え、他の部分はひどく和む。とても好きな光景だった。
 それを眺めながら広場を横切り、そのすぐ向こうに建つ大きなに向かった。に沿って回り込み、裏門から中に入る。狭い裏庭を突っ切れば、すぐに厨房だ。
「ただいまー」
 器用にを使って扉を開けて、テッドは近くのテーブルに買ってきた物を置いた。
「おかえり。ご苦労さん。全部買えたかい?」
「買えたよ」
 近くで野菜を切っていた賄い係が振り返った。前掛けで手を拭きながら、奥に向かって人を呼ぶ。応えて出て来たのは金髪の優しげな顔立ちの青年だった。
「お帰りなさい、テッド君。ご苦労さまでした」
「これで良かったかな、グレミオさん」
 グレミオは袋の中身を一通り確認して、にっこりと笑んだ。
「はい。充分です。ありがとうございました。あ、そろそろ時間ですから、行って良いですよ」
「あ、もうそんな時間か」
 言われて、テッドは太陽の低さを思い出す。約束の時間が近い。
 グレミオと賄い係に軽く頭を下げて、テッドは厨房を屋内に抜けた。静かな廊下を見渡すが、予想の場所に人影は無い。
「あれ…?」
 首を傾げている間に、遠い場所で鐘が鳴った。城の前庭にある大鐘楼の音だ。決まった時間に決まった数の鐘を鳴らし、街で暮らす人々に時刻を知らせる。
 夕刻の一の鐘。
 この時間に、テッドは邸の一人息子と待ち合わせをしている。いつもならば時間きっかりに彼はやってくるのだが。
 首を捻りながら、とりあえず約束の場所に向かう。邸の東棟の一階、廊下の半ば程にある庭へ通じる扉の所だ。
 しかしテッドがそこに辿り着いても、彼は来る様子が無かった。彼の側仕えをしているグレミオが何も言っていなかったのだから、“授業”が長引いていると言う事は無いはずなのだが。
 どうしたものかと暫く首を傾げ、結局テッドは彼の部屋へ行く事にした。を返して厨房近くにある階段へと向かう。使用人達が使う狭い階段だ。玄関ホールにある主階段を使うのはやはり気が引けるのだ。
 テッドは目的の扉を叩いた。
 が、返事が無い。
 あれ?と小首を傾げづつ、もう一度叩いてみるが、やはり応えは無かった。暫し考え、三度叩く。
「おーい。セオー?」
 声も掛けてみる。
 それにようやく応えが返った。「どうぞ」と言う声にテッドは扉を開ける。
 しかし見回した室内に彼の姿は無く、露台に続く窓が開いて、カーテンが風を受けてなびいていた。
「セオ?」
 露台に出ると、彼は壁際の手摺に腰掛けていた。壁に背を預けてぼんやりと街を眺めている。西日に赤く染め上げられた黒髪が時折風に揺らぐ。
「何してんだ、こんなトコで。時間なのに降りて来ねぇし」
「ごめん。もうそんな時間だったんだ…」
「さっき鐘鳴っただろ」
「…そういえば、そうかも」
 今思い出した、と言うようにセオは答える。耳にしてはいたが、それが何を示すのか考えていなかったと言う事だろう。
 ごめんと呟くように言い、顔をテッドの方に傾ける。テッドからは逆光になって、その表情はよく分からなかった。
「で、何してんだよ」
「日光浴」
「…そろそろ風冷たくなってる気がするんだけど?」
「気持ち良いよ。陽射しはまだ暖かいし」
 テッドの呆れを含んだ声も気にせずに、セオは口許綻ばせた。尚も視線は街に向けられていて、当分動く様子は無い。テッドは仕方無くセオの横に腰を下ろした。露台の手摺越しに夕陽に沈みゆく街並みが見える。
「テッドはさ」
「んー?」
「あの向こうに何があるか知ってる?」
「何って……」
 訊かれて、テッドはセオの指差す先、街の南方に横たわる山脈を見る。
 山脈の向こうにも暫くは帝国領が続き、幾つかの街とエルフの村のある大森林が広がっているはずだ。その更に向こうにはカナカンや南方諸国といった国があるらしい。しかし、それらの情報の大半はセオの家にある地図を見て手に入れたものだ。彼が知らないはずは無い。
 結局セオが本当に訊きたい事が何なのか分からず、テッドは眉を寄せる。
「行ったことある?」
「無いな」
「僕も無い。僕の場合、あっちだけじゃなくてほとんど何処にも行ったこと無いけど。旅行とか行かなかったから」
 そう言ったきり、セオは黙ってしまった。
 日は大分傾き、空は更に赤味を増している。東の透明な藍色に紛れて、カラスが小忙しく横切った。
「……いや、だから、結局何なんだ?」
「いつか行きたいなって話だよ」
 ゆらりと、彼は壁に預けていた背を起こした。
「僕はずっとこの街に居たけど、ここだけでも色々な事があって。たくさんの人に会って。楽しくて。だから、もっと色々な所に行ったらもっと楽しそうだと思ってね」
 ずっと前を、遠くを見ていた目が不意にテッドを見た。細められた目と、持ち上げられた口の両端が逆光の中でも、辛うじて見えた。
「いつか一緒に行こう」
 熟れた色の落ち日。
 斜めに射す光はセオのちょうど向こうで、テッドは痛そうに目を細める。
 頷けたかどうかは、自分でもよく分からなかった。





  了


 設定が少し変わってきたので手直ししました。坊とテッド君の話。大筋は変えずにそのままです。
 どことなーく切ない感じになって頂ければ成功。(無理か…)
 あ、テッド君のマクドール家での立場は、居候で坊っさんの話し相手です。普段は雑用やってて、坊っさんのお勉強時間外で一緒に遊んでます。

 因みに。題の「晴れすぎた空。」はCoccoの曲名から頂きました。妙にイメージに合っていたので。

(2004/05/05 改訂)

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