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箱庭の一石







      神さま
      この想いは この願いは そんなにも叶え難いものなのでしょうか…




         + + + + + +


 陽射しの暖かくなり始めた、よく晴れた日の朝。
 城門近くの木陰の中で、ナナミはセオと出くわした。
「あれ、セオさん? カイと一緒に行ったんじゃなかったんですか?」
 いつもと変わらぬ旅支度をしたセオを、首を傾げて眺める。
 ナナミの義弟である同盟軍軍主は少し前に出発している。ナナミは城門のところまで彼らを見送ってきたところなのだ。助っ人としてパーティによく参加している彼が一人で歩いている姿を見るのは、とても変な気分がした。
「三四回連続してパーティに入っていたから、今回は休みにしてくれるそうだよ」
「そういえば最近多かったですよね」
 言われてみれば、確かにここ二ヶ月近くずっと彼の姿を見ているような気がした。切実に戦力が欲しかったらしい彼女の義弟が、セオを城に留めおいていたようだ。
「それじゃあ、これからグレッグミンスターに帰るんですよね。だったらあたしその辺りまで見送りしますよ! あたしヒマだし」
「でも君…」
「ハイ決定! 行きましょうっ!」
 セオの返事も聞かずにナナミは彼の手を取って駆け出す。
 城門へ伸びる煉瓦道を足音も高く走り、門番の脇をすり抜ける。番をしていた顔見知りの傭兵が呆気に取られているその上にセオを送ってくるを放り投げて、ナナミはそのまま駆け通した。左手の先の彼は、何も言わずに引っ張られてくれていた。その更に後方に門はどんどん遠ざかっていく。



 やがて門番の姿は見えなくなり、彼女らの城もずいぶん小さく見えるようになったころ、ナナミはようやくセオの手を放して足を止めた。
 思い切り手を上に伸ばして、深く大きく息を吸う。
「やっぱり外は気持ち良いなぁ」
 久し振りに思い切り走らせた身体は少し鼓動が早くなっていた。日々の鍛錬を怠っていたわけではないが、ほとんど全力疾走に近かったせいだろう、ドクドクと手の血管を血が流れていくのが分かる。
 ちらっと盗み見た背後のセオは呼吸を乱した様子もなく、ズレ落ち掛けた荷を持ち直しているところだった。それだけでもう何となく、ナナミはさすがだなぁとか考える。
 思わずじっと見ていると、セオはナナミを見て不意に口許を笑ませた。
「外に出るのはひさしぶり?」
「え…はい、久し振りですっ」
 そこに浮かべられた微笑みがすごく優しくて、ナナミは妙に驚き緊張して答えていた。そのことに自分で気付き、手が落ち着かなげにパタパタ動く。頬も少し赤かった。
「えっと最近何だか城の中ばかりに居てそれはちゃんと用事あったりとか稽古してたりとかだったんだけど、子どもたちが遊んでとか言うし楽しそうにしてくれてて嬉しかったし…えっとえっと…はい、外に出るの久しぶりです。…もうずっと、カイが連れて行ってくれないから」

 一緒に居なきゃ、守ってあげられないのに。

「外は、やっぱり良いですね」
 ナナミは一瞬だけ力なく笑った。
 けれどふっと短く息を吐き、すぐに顔を上げて勢い良く前を向く。拳に力を込めて思い切り笑顔になる。
「そんな事より行きましょう。日が暮れちゃいますよ」
「それより散歩しないかい?」
 力一杯足を踏み出し掛けていたナナミは、後ろからの言葉に思い切り出鼻を挫かれた。振り向いた先には、先刻と変わらぬ笑みを刷いた彼。
「散歩って」
「せっかく出て来たんだから散歩でもして行くと良いよ。僕も久し振りにのんびりしたい」
「でもセオさん帰らなきゃ」
「今日は良いよ。城に戻る。
 気づいてないみたいだけど、ナナミ、君武器を持ってきてないよ?」
「えっ」
 確かにナナミは何も持ってきていなかった。白い手袋をはめた両手は空だ。元々カイを見送るだけのつもりだったので、三節棍は置いて部屋を出たのだった。
 目の前に持ってきた自身の両の手を眺めてナナミは少し呆気に取られる。どれだけ他のことに気を取られていたのか、見せつけられた気がした。

 見送った後ろ姿。遠くなっていくあの子の背中。あの子達の背中。

「やだなぁあたしってば何やってるんだろ…。ごめんなさい、セオさん。あたし素手でも全然大丈夫ですから、気にしないでください」
「だから良いって。ちゃんと送るよ」
 それでもまだ納得のいかない様子のナナミに、セオは苦笑してそれが自分のためでもあるからと言った。
「もし徒手の君を一人で城に帰してそれがカイに知られたら、僕はカイに何をされるか分からないからね」
「カイが? あの子はセオさんにそんなことしませんよー?」
 首を傾げて心底不思議そうに言うのには何も返さず、セオはただ何処に行くかを訊ねた。
 ナナミは少し迷った末にお願いしますと頭を下げた。
「それじゃあ、湖に行きませんか?」



      *  *  *  *



 綺麗に晴れた空を映した湖は何処までも澄んで青く、水面に日差しを弾かせて静かに広がる。
 そろそろ見慣れてきたはずのデュナン湖は、何故か見る度に様子が違って思えて、いつも一瞬見惚れる。
 思い返してみれば、昔暫くの間起居していた湖の岩の砦でも朝同じように外を眺めていた。家人はよくそうしている時に自分を起こしにやって来て、また見ていらっしゃったのですかと笑みを洩らした。
 大地を駆け抜けていく風が草を弄ぶ。草原のざわめく音が身体を包み、それがひどく快い。


 どちらかと言えば、少女のために提案したつもりの散歩だったのだが、自分がのんびりしたいと言うのも強ち嘘ではなかったのかもしれないとセオは胸中で苦笑した。
 好感の持てる人と長い時間を共に過ごすのはまだ少し辛いらしい。知らぬうちに緊張していたのだと、今になって自覚する。
 ナナミを見遣ると、湖の水際に立って気持ち良さそうに風に吹かれている。普段の賑やかさは無く、今はただ静かだ。
 湖の輪郭を目線で辿ると先刻出てきたばかりの城が見えた。自分たちが立っている辺りは水面が近いが、城は高台にある。緩く弧を描いた湖の向こうに建つそれは奇妙に遠い。人々の営み、暖かい場所。
「なんか立派になったんだなぁ」
 呟く声に視線を戻すと、少女もセオと同じ物を眺めていた。感慨の深さに比例したのか、洩らす呼気は重い。
「最初はね、すごくボロボロだったんですよ。ネクロードとか言う変な奴が居て、それで何年もほったらかしだったらしいんですけど」
「フリックに聞いたよ。ネクロードが生きてたっていうのには驚いた」
「あ、そっか。セオさんも昔戦ったことがあるんだっけ」
「あそこは元々はビクトールの生まれ故郷だっていうのも聞いたな」
「何かそうらしいです。そんな大切なところをあたしたちが勝手に使って良いのかなってたまに思うんですけど」
「良いんじゃないのかな」
「はい、ビクトールさんもそう言います。気にするなって。また街が出来て人が居るのが嬉しいって」
 そう言いながら、あの男はきっとひどく優しく笑っただろう。普段の乱暴な動作からは想像も付かないほどにやわらかく穏やかに。見ているこちらが苛立つほどに。
「街中お墓だらけで木とか無くて茶色かったのに、今はあんなにたくさんの人が居て緑がきれいで明るくて。ちょっと信じられないくらいです。あの子は出掛ける度に助けてくれる人をたくさん連れて帰って来るの。皆優しくて、頼りになる人たちばかりなの」
 嬉しそうに話す彼女は、誇らしそうに寂しそうに最後の言葉を呟く。

「あの子は、とっても頑張ってるんですね」

「…そうだね」

 ざわざわと草が揺れる。
 少女の不安げな目が、水分を求めて瞬く。

「あぁ、カイで思い出した。君に言おうと思ってたことがあったんだ」
 機会が無くて言えずにいたんだけどとセオは言う。
「本人が気付いてるのかは知らないけど、カイが城に帰ると大概君が出迎えてくれるだろう?」
 門番から知らせを貰って、真っ先に駆け付けてくる。
「その君の姿を見て、カイは絶対に割と情けない顔をするんだよ」
 その瞬間に全てが溶けるように。全てを忘れたように。きっとその一瞬には他の何も目に入っていないだろう。ずっと緊張させていた肩の力を抜き、勁い光の宿っていた双眸をひどく和ませる。崩れる。
「…ホント、ですか?」
「ホントだよ」
「…教えてくれて、ありがとうございます」
 俯いた顔が、どんな表情を浮かべているのかセオには分からない。ただ茫然とした声だけが聞こえた。
 風は静かに疾く走り、湖面を滑って少女の髪を散らす。はためく服の裾が軽い音を立てる。少女がセオの名を呼んだ。
「カイは大丈夫ですか?」

 あたしが傍に居なくても大丈夫そうに見えますか?

「…頑張ってるよ」
 セオの返答に、そうですかとナナミは言い、目を閉じて空を仰いだ。唇が小さく動き、二つ、何か言葉を呟いたようだった。

 何処かに消えていってしまいそうだと思った。
 逆に、何処にも行くことが出来ずに堅く囚われている様にも思えた。

 セオさん、とナナミは空に向かって言った。
「帰りましょっか」



      *  *  *  *



 やがて帰り着いた彼女らの城で、ナナミはセオにお昼をご馳走すると言い出し、セオは弁当があるからとか何とか言って冷汗混じりに辞退した。
 場内を歩く少女はいつも通り賑やかで、すれ違う人々と言葉を交わしながら、彼女の部屋に戻り行く。
 翌日にセオはグレッグミンスターに帰り、ナナミは彼を城門まで見送った。
 軍主の一行が帰ってくるのは八日後の予定で、二日遅く帰ってきた彼らをナナミはやはり城門で出迎えカイは相好を崩した。
「おかえり、カイ」
「ただいま」

 笑顔で互いの存在を確かめる。



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     神さま








 とても個人的趣味の覗えるナナミと坊の話。
 何だか無駄に長い気がしてなりません。それもこれも全てはナナミお姉ちゃんの所為なのですが。なかなか弱音を吐いてくれないコトこの上ない。坊はいつでもウェルカムな状態なのに(どんなだよ)。
 ナナミがとっても強情でした。さすがナナミ、と阿呆のように感心したりムカついたり。
 とりあえず書き上げられて満足です。ふぅ( ̄。 ̄;

 1ページ目のマザーグースの唄はどうしても出したかったので出してみました。元々ナナミがU主とジョウイの背中が遠ざかっていくように感じてる、てのはあったのですが、その感じととてもハマってたので見つけたときは嬉しくて。これがあったからこの話も書き上げられたようなものです。はい。

(2002/11/06 UP)

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