*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*

たぐる たどる







 2週間掛かった忍務から戻り、汚れを落として部屋で身体を休めていると、とたとたとこちらへ近付く足音が聞こえた。忍術学園広しと言えど、こんな時間にこんな足音と気配をさせて自分の部屋へ来るのは一人しかいない。
 兵助は閉じていた目をぱちりと開け、床へだらりと投げていた身体を起こして胡坐を組んだ。ちょうどその時、足音が止まった。
「兵助くん、居る?」
 その小さな呼び声に応えると、タカ丸が障子戸をそっと開けて入ってきた。兵助の無事な姿に安堵して頬を緩める。
「おかえり」
「ただいま」
「怪我してない?」
「ないよ」
 タカ丸は兵助の傍らに膝を付き、顔を覗き込む。そして間近で兵助の全身を見回して彼の言葉に嘘がないことを確認すると、再び頬を緩めた。
「ほんとだ。良かった」
 自分の言葉を明らかに疑っていたタカ丸に、けれど兵助は何も言えない。兵助は負けず嫌いで、傷を負ったことを恥として、誤魔化そうとした前例があるのだ。気まずさと、いつまでも言葉を疑われることに少し拗ねて、目を逸らした
 タカ丸はそんな兵助に苦笑する。本人は気付いていないようだが、普段の彼ならばこの辺りで文句や拳の一つも出ている頃なのだ。それらも億劫なほどに疲れているのだろう。
「兵助くん」
 何、と言うように兵助から一瞥が寄越される。タカ丸はその視線を手繰るように両手を伸ばし、頬を包み込んだ。やんわりと顔を引き寄せ、こつりと額を合わせる。
「ごめんね。無事で良かった」
「…うん」
 ひどく間近なタカ丸の顔に、兵助はを下ろす。自分からも手を伸ばし、目の前の男のをぎゅっと握り締める。頬を包む両手に顔を少し上げさせられたかと思えば、唇を柔らかなものが触れていった。すっと一度離れたものは、二度三度と優しく重ねられた。
「お疲れさま」
「…あぁ。疲れた」
 タカ丸の肩に頭を乗せて兵助は低く零した。タカ丸の両手が背に回され、労りを込めて緩く抱きしめられる。ぽんぽん、と優しく背を叩く手のリズムが心地好い。
「あ、そうだ」
 不意に耳元で上がった声に、兵助はそろりと顔を起こした。見れば、タカ丸は口の端を上げてへにゃりと笑っていた。あまり良い予感がしない。
「兵助くん、疲れているなら横になった方が良いよ。膝貸すよ」
「…は?」
 兵助が疲弊した頭で全てを理解する前に、タカ丸は少し後ろにズレて、兵助の半身を倒させた。タカ丸の膝に頭を預けて横臥する格好になった兵助は、横目でちらりと相手を見上げる。
「…タカ丸さん」
「良いから良いから」
 冷ややかな声音で呼ぶ兵助に構わず、タカ丸は楽しそうに膝の上の頭を撫ぜる。時折前髪を手櫛梳くのを交えながら、ゆっくりと。
 その様子に、これは何を言っても無駄かと兵助は目を伏せた。が、タカ丸の忍装束から微かに汗と土の匂いがすることに気付いて、再び目線を上げる。
「タカ丸さん、鍛錬してたのか?」
「うん、少しだけ。ごめんね、汗くさかった? 今日兵助くんが帰ってくると思ったら集中出来なくてすぐに止めちゃったから、大丈夫だと思ったんだけど」
「いや、ほとんど気にならないよ。でも鍛錬は集中してやらないと危ないぞ」
「…うん、そうだね。気を付けるよ」
 タカ丸の言葉の前に微妙に空いた間に、兵助が気付く様子はない。タカ丸が思わず零れそうになった言葉を喉の奥に押し止めていると、不意に頬に温かなものが触れた。体勢を仰向けに変えた兵助が片手をこちらの頬へ伸ばしていた。
「兵助くん?」
「前に善法寺先輩が言ってたんだ。こうやって手を当ててるだけでも、人の疲れを軽くすることが出来るって。鍛錬はしてなくても授業には出てるんだ。あんただって疲れてるだろ」
「…ありがとう。ほんとだね、暖かくて気持ち良いな」
 兵助の手に自身の手を重ね、タカ丸はぎゅっと頬に押し付ける。悪戯心を起こして兵助の手の平に唇を押し付けると、案の定額を叩かれた。じとりと睨み上げてくる黒の一対に、眉を下げたいつもの柔らかな笑みで応える。
 大人しく元のように手櫛で黒髪を梳き、歌うように囁いた。
「お休み、兵助くん」




 兵助が寝入って数分、タカ丸はゆっくりと視線を障子戸へ向けた。
「先輩、お気遣いありがとうございます」
 戸が音もなく開けられ、暗色の忍装束の少年がするりと入ってきた。兵助と同室の尾浜勘右衛門だ。一瞬差し込んだ月明かりに浮かび上がった身体の輪郭は、陽の光の下で見るよりもがっしりとした印象を受けた。
「兵助、帰ってたんだね」
「はい。大した怪我もないみたいです」
「そうか。良かった」
 タカ丸の言葉と、微かに聞こえる兵助の穏やかな息遣いに、勘右衛門の気配がふっと和らいだ。
 勘右衛門はタカ丸達の横をすり抜けて奥の押入を開け、二人分の布団を引っ張り出した。それを敷き終えると、今度は唐櫃から寝間着を取り出す。
「兵助、寝かしておいてくれないか。…手貸した方がいいか?」
「お気遣いなく。僕もそこまで非力じゃないですよ」
「じゃあ頼む」
 戸口に立って振り返り、再び月明かりに身を晒しながら、彼はぽつりと呟いた。
「兵助が、他人に頭を預けて寝てる姿を見る日が来るとは思わなかったな…」
「…頑張りましたよ」
 しれっとそんなことを言うタカ丸に小さく笑って、勘右衛門は戸の向こうへ姿を消した。
 タカ丸は膝の上に視線を戻し、緩くうねりながら広がる黒髪に指を絡めた。まだ水気を含んだ髪はしっとりと重く、普段よりも素直にくるりと指に従う。
「…自分でも、こんなに必死になるとは思わなかったよ」
 小さな呟きは、静かな夜の闇に引き込まれるように消えた。





  了



 テーマは膝枕、でした。
 勘ちゃんがなかなか掴めない…。
 兵助くんの同室者を、一応同級ということで勘ちゃんにしてありますが公式じゃないです。念の為。最初はオリキャラ出そうかと思ったけどそこまですることもないか…、と思って勘ちゃんに登場願いました。イメージが違っていたらすいません。

(2011/01/28 UP)

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