冬色模様
季節の移った当初は懐かしさすら感じた、きんっと冷えて尖った空気は、気付けばもう日常のものになっていた。
焔硝蔵独特の底冷えする空気もまた、既に馴染みではあるがやはり辛い。
「蔵の中ってさ、風はないけど別の寒さがあるよね。指先からじわじわ熱奪われるっていうか」
上衣二枚に布子を重ねて着膨れたタカ丸が、更に寒さに首を竦めながらそう零すのに、後輩二人からは溜息が返ってきた。
「寒いですけど、タカ丸さんのはちょっと…」
「蔵の中でそんなふうで実習の時どうするんですか」
「二人ともそんな風に言わないでよ。寒くて動けない方が二人も困るでしょ〜」
寒さで心折れているのか、早くも泣きの入りそうな弱々しい声のタカ丸に、蔵の奥から声が飛ぶ。
「喋ってるだけの方がもっと冷えるぞ。タカ丸さん、外で走り込みでもして身体を温めてくるか」
「ごめんなさい先輩! 何をすれば宜しいですか」
「これをそっちまで運んでくれ。伊助と三郎次も、それが最後だからもう少し頑張ってくれ」
「はい」
二人の歯切れ良い返事を背中に聞きながら、タカ丸は兵助が棚から下ろした火薬壷を取りに行く。兵助がいるのは蔵の北側で、奥に行くほど増す寒さに背筋が震えた。
「兵助くん大丈夫? ずっとこっちにいるけど」
「慣れてるから問題ない」
「あとであっためてあげるね」
「要らん。あんたはいつまで着膨れているつもりだ」
「うーん頭では分かってるんだけど…っ」
壷の冷たさに反射的に手を引っ込める。タカ丸は眉をしかめ、緩んでいることの多い頬にも気合を入れて壷を持ち上げた。悲壮な顔付きで慌しく運んでいく。
それと入れ替わるように、伊助と三郎次が奥へやってきた。
「久々知先輩、終わりました」
「確認お願いします」
兵助は二人に任せていた棚の間を歩きながら、書類を
捲っていく。さすがに手が
悴んでいるらしく、時々口元に手を持っていっては息で温めている。
「大丈夫そうだな。終わっていいぞ。明日は外の掃除をするから、お前たちも暖かい格好をして来てくれ」
「わ、わかりました」
外作業と聞いてさすがに顔の引きつる二人に、兵助は苦く笑う。
「悪いな」
「いえ! 委員会の仕事ですから。僕はちゃんとやります!」
「三郎次先輩っ、僕だってちゃんとやりますよ!」
意地を張り合う後輩二人を、壺を運び終えたタカ丸が後ろから抱きしめた。
「明日のさむーいお仕事の前に、二人とも風邪引かないようにね」
「タカ丸先輩っ何するんですか!」
「わぁ、タカ丸さんあったかーい」
もがく三郎次と擦り寄る伊助を両腕に抱え、タカ丸はいつものように柔く笑う。
「二人をあっためてあげられるように、あったかくしてたんだもん」
「自分が寒かっただけでしょう!」
「ははっ、それもあるけど。さ、あったかさが残ってる内に食堂で温かい物もらっておいでよ」
「先輩たちはまだ戻らないんですか?」
「タカ丸さんの分が終わってからな。じきに終わるから二人は先に戻ってていいぞ」
一際ぎゅっと抱きしめて、タカ丸は二人を解放した。伊助たちは気が引ける様子を見せつつも、一礼して蔵を後にする。
「すみません。お先に失礼します」
「失礼します」
二人の後ろ姿を見送って、蔵の鉄扉を元通りに閉め直した。一瞬射し込んだ日の光の暖かさは、すぐに蔵の中の空気に冷やされ消えた。
「兵助くんもあっためてあげようか?」
「要らんと言ってる。それよりも…」
タカ丸から伸ばされた手を兵助はさっと避けた。が、指が微かに
掠った。その冷たさにぎょっとして、タカ丸は慌てて兵助の両手を捕まえる。
「ちょっ兵助くん何この手! あぁっ紫になり始めてるじゃない!」
「…あぁ、そういえば今日は数が多かったな」
ぽつり独り言のように零された言葉が、彼が抱えて下ろした壺の数のことを指しているのだと気付いて、タカ丸は顔を曇らせた。強く兵助の両手を握り込む。
「もしかして、最近一人で壺の上げ下ろししてるのは壺が冷たいから? 伊助たちが壺にあまり触れなくて済むように?」
「悴んで手に力が入らなくなって、壺を落とすと困る」
「…もう少し俺のことも頼ってよ、て大見栄切れないのは確かだけど。せめてもうちょっと手伝わせてよ」
兵助の手を己の呼気で温めてやりながら、タカ丸はやり切れない様子で言う。それを見上げ、兵助はタカ丸の両手の間からするりと片手を抜いた。
「兵助くん…? っ! 冷た!」
タカ丸が首元に巻いた布の下、合わせの隙間から手を差し込んで彼の肌に直接触れる。最初は感触も
曖昧だったのが、徐々に暖かく滑らかな手触りを感じるようになっていく。
「本当だな。暖かい」
ふわりと笑う兵助を、タカ丸は膨れ面でその冷たい身体ごと抱き込んだ。
「兵助くんの意地悪!」
暖かな身体に包まれて、凍るようだった指先も温もりを思い出す。
了
1月インテで無配ペーパー用に書いた小咄でした。
冬の焔硝蔵なんて想像しただけで凍え死ねる寒すぎる。と思いながら書いていた。
(2013/01/27 UP)
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