*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*



ただいま、





 アレンは掛けていた荷物を降ろし、凝った肩をぐるりと回す。
 今日の宿は町外れの寂れた小屋で、割れた窓ガラスから風が鋭い音と共に吹き込んでいる。隙間風が白い髪を揺らすが、全身を吹き晒されるよりは断然マシだ。独り、安堵の溜息をつく。
 小さな羽ばたきの音に目を遣れば、ティムキャンピーが物珍しげに小屋の中のあちらこちらを飛び回っていた。
「ティム、今日はここで寝るよ」
 手を伸ばすと金色のゴーレムは軽やかに留まった。遊んでいるのか、小さな手をぺたりぺたりと押し付けてくる。
「この調子だと教団本部まで行くのにまだ時間が掛かりそうだな。大体師匠がインドで僕を放り出すから、こんな苦労をしなきゃいけないんじゃないか。どうせこっちまで来なきゃいけなくなるならあんな所まで連れ歩かないでほしいよ」
 ゴーレムの羽を撫でてやりながら愚痴を零す。ヨーロッパ大陸に入って10日以上経つが、その前は更に1月以上掛けて東アジアを抜けてきたのだ。旅慣れているとはいえ、独りで歩き続けるのは生まれて初めてのことで、これから新しい生活を始める緊張感も相俟って正直疲れていた。
 いや、それだけでなく。
 そこに思考が到って、アレンは無意識の内に下唇を噛んでいた。
 また、帰る場所を失くした。
 場所、というより人か。最初は養父を。その次は師匠を。勿論師であるクロスとは死別したわけではないが、解放感と同時にやはり喪失感にも襲われた。生きる希望を失っていた時に拾ってくれた人だった。傍迷惑な人だったが、それでも拠り所となっていたのだと改めて気付かされた。
 帰る、とか。ただいま、とか。
「…また、誰かに言えるのかな」
 零れ落ちた言葉に気付かずに、アレンは荷物を枕にして汚れた床に横になった。脳裏にクロスの言葉がよみがえる。

 本部をホームと呼ぶ奴もいるがな。
 俺はあそこが嫌いだ。

 クロスが嫌いならちょっと期待しても良いかもしれない。嫌いと言った時の声が、憎しみや侮蔑を含んでいなかった。
 ティムキャンピーにおやすみを告げて、アレンは眠りのに落ちていった。




  了

 3連作のひとつ目。

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(2007/05/28 UP)

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