*読み難そうな漢字には、オンマウスで読みが出るようにしてあります。*

君がため 春がたみ







 大学近くのコンビニに入って、タカ丸は店内を見回した。ここで待ち合わせをしたのだが、相手の性格上既に来ているはずなのだ。
 ぐるり見回した店の真ん中の辺りに、予想通り艶やかな黒髪の後ろ頭を見つけて、タカ丸はそちらに急いだ。
「仙蔵くん、久しぶり!」
「タカ丸、元気そうだな」
 菓子の棚の前で新作商品のチェックをしていた仙蔵は、振り返って目を細めた。
 彼はタカ丸の高校時代の友人で立花仙蔵という。涼しげで端正容貌をしている上に有能で、高校時代は女生徒を中心に大変人気があった。それは恐らく今でも変わらないだろう。店内の女性客の視線を一身に集めながら、全く気にする素振りもない。実に堂々とした立ち振る舞いに、タカ丸は相変わらずだなぁと内心で苦笑する。ちなみにコンビニ菓子の新作を試すのは彼の意外な趣味だ。
「突然どうしたの?」
「用事で近くに来たのでな、ついでに顔を見ていこうと思ったんだ。大学の入学祝いもまだしてやっていないしな」
「えぇ〜、ありがとう。じゃあひとまずどこかお店に入ろうか」
「そうだな」
 そうしてタカ丸が仙蔵を連れていったのは落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。随所に木が使われていて、とろりとした飴色が目に優しい。鼻を利かせるとコーヒーの香りが鼻孔をくすぐった。
 壁際の席に座ると、タカ丸はブレンドコーヒー、仙蔵はイタリアンローストを注文した。
「で、どうだ?」
「どう、て?」
「私に報告出来るような面白いことは何かあったか?」
「うーん、面白いことかぁ…。一人暮らしを満喫してるくらいかな。全部一人でやるのはやっぱり大変だけど面白いね。慣れたらもっと節約出来るようになりたいな」
「節約か。あれは面白いな。計画通りに抑えられるとなかなか達成感がある」
「今度裏技教えてね」
「秘蔵のやつを教えてやろう」
 コーヒーが運ばれてきてそれぞれの前に置かれる。ウェイトレスは大学の生徒らしい若い女の子で、チラチラと二人の顔に視線を投げていった。
 タカ丸はコーヒーを一口含んで、思い出したように口を開いた。
「あと、久々知くんに会ったよ」
「久々知? …あぁ、委員会で一緒だったやつか」
「そう。偶然同じ大学でね、講義でばったり会ったんだ。びっくりしたよ〜」
「そういえばお前は久々知のことを随分と気に入っていたな」
 仙蔵の言葉に、タカ丸は眉を下げて笑った。
「うん、大好きなんだ」
「…タカ丸?」
 困ったように笑ったタカ丸に違和感を覚えて、仙蔵が訝しげに名を呼んだ。しかしタカ丸はそれには答えず、今度ね、と話を継ぐ
「久々知くんと、久々知くんの高校の時の友達の所に泊まりに行くことになったんだ。二回一緒に飲んだけど、面白い子達だよ。楽しみだな」
「それはまた随分と入り込んでるな」
「一人ひとりは違うんだろうけど、ムードメーカーの子が屈託ないからかな。すんなり混ぜてもらえた気がするよ。元々高校の時に顔見知りだったから、それもあるかもしれないね」
「そうか。…うまくいくと良いな」
「うん」
 何を、とは言及しなかった仙蔵の言葉に、タカ丸は再び困ったように笑った。


      *  *  *


 見上げた空は浮かぶ雲も高く、既に夏の顔を見せていた。梅雨の合間の数日振りの快晴だ。木漏れ日は暖かく、昼を過ぎたこの時間には汗ばむ程で、街路樹の葉をそよがせる風が心地良い。
 タカ丸は首筋を撫ぜた風に目を細めた。こんな日は恋人とどこか景色の綺麗なところに出掛けられたら良いのにな、と胸の内で呟く。
 とは言っても彼には今そうした思いつきに付き合ってくれる相手はいない。頭に浮かびかけた面影を振り払い、こっちはこっちで楽しいけどね、と前方を見遣る
 兵助と雷蔵の他に、彼らの高校時の友人が三人居た。鉢屋三郎、竹谷八左ヱ門、尾浜勘右衛門だ。委員会の用事で兵助のもとを訪ねた時によく見掛けた顔触れが、適当にバラけて歩きながら話している。兵助と雷蔵はタカ丸と同じ大学だが、他の三人は近隣の別の大学に通っているそうだ。それでも結構な頻度上で会っているのだから、本当に気が合う仲間なのだろう。それは見ていても分かることだったが。そこに自分が混ざっているのは不思議な気分だった。高校時代ですらこんなふうに校外で会ったことはない。
 それにしても、二、三ヶ月前にはこんな状況を想像してもいなかったなと思っていると、ちょうどその時、兵助が振り返った。
「タカ丸さん、何してるんですか。置いてきますよ」
「ごめんね」
 遅れ始めていたタカ丸は小走りで彼らに追いついた。
 土日は美容室でバイトをしているタカ丸が、店の定休日も重なって二日共休みになった。ならば遊び倒すか、と言い出したのは八左ヱ門だったか、ともかく土曜日の昼前から集まることになった。今のところ決まっているのは、昼飯、映画、夕飯は八左ヱ門の家で呑む、ということぐらいであとは適当にその場の流れで決めていた。何とも気楽だなぁ、と遊ぶとなると計画を立てるのが普通だったタカ丸が呟いたのに、遠出の時はちゃんと考えるよ、と苦笑と共にフォローを入れたのは雷蔵だ。
 今は映画までをこなしたところで、八左ヱ門の家を目指して移動中だ。途中、服やCDや家電を見つつ、ぶらぶらと歩く。バスに乗って最寄りのスーパーへ行き、買出しをしてまた歩いた。
 八左ヱ門の住処は古びた二階建てのアパートだった。塀で囲われた敷地に入るなり犬の鳴き声が響いて、八左ヱ門は庭に向かって大きく手を振る。
「おぅ、ただいま、タロウ!」
 隣にいた雷蔵に鍵を渡して、八左ヱ門はその黒い中型犬に駆け寄った。飛びつく勢いの犬に負けぬ勢いで思い切り撫で擦る。
「八左ヱ門くん、犬飼ってるの?」
「いえ、大家さんの犬なんですけど、はちは生き物が好きだからあの通りです。最近は大家さんとはちのどっちが飼い主か分からないくらいですよ。ああなると長いんで先行きましょう」
 こちらのことなど眼中にない様子で犬を構い倒している八左ヱ門と、犬を撫でに行った勘右衛門を置いて、四人で先に部屋に上がる。
 八左ヱ門の部屋は1Kの和室で、意外と片付いた八畳の部屋の中央に座卓が一つ、そして何より存在感があるのが壁際に据えられた大画面の液晶テレビだ。テレビと、そこに常時繋がれていると一目で分かるPS3が、適当に買い揃えた感のある他の家具と一線を画していた。
「うわぁ…大きいね」
「これ、ゲームの為だけに買ったんですよ。ゲームと生き物にお金使ってばっかりで。そんなんじゃ彼女出来るはずないですよね」
 時折本気で寂しそうに彼女が欲しいと呟いている部屋の主を思い出しながら、雷蔵は苦笑する。
 三郎と兵助はさっさと部屋に上がって、隅に立ててあった予備のテーブルも出して、買ってきた食材を広げ始めた。
「タカ丸さんも遠慮せずにどうぞ」
「あ、うん。お邪魔します」
 四人で惣菜のパックを開けたり、冷凍ものをレンジに入れたりしていると、八左ヱ門と勘右衛門も戻ってきた。
「悪ぃな。あとどれだ?」
「もう終わったよ」
「そっか、サンキュ」
「あれ? はちの部屋がキレイになってる」
 遅れて入ってきた勘右衛門が物珍しげに部屋の中をきょろきょろと見回した。
「雷蔵と三郎が片付けるの手伝ってくれたんだ。お前らだけならいいけどさ、タカ丸さんも来るのにあのままじゃさすがにマズイだろ」
 八左ヱ門がカラリと笑って言うのに、雷蔵が苦笑と共に言い足す。
「僕も片付けは下手だから、ほとんど三郎がやってくれたんだけどね」
「文句言いながらもやってくれるんだよな」
「二人とも無頓着すぎなんだよ」
「俺らが来る時も片付けろよ」
「ま、そんなわけで今日は気持ちよく飲めるってことだ。腹減ったし始めるか」
「そうだな」
 それぞれビールを手に取り、掲げる。
「乾杯ー!」


 彼らの会話は縦横無尽だ、とタカ丸はいつも思う。テレビ、お笑い、映画、音楽、パソコン、ゲーム、女。そもそも大学の学科からして違う。兵助は工学部、雷蔵は文学部英文科、三郎は美大、八左ヱ門は農学部、勘右衛門は文学部国文科だ。これだけ興味の方向性が違う者同士が集まるのも珍しい気がする。
 飛んだりずれたり戻ったり、だらだら喋りながら飲み食いしていると、一人二人と潰れ出した。最初に寝こけたのは八左ヱ門だ。面倒を見ている生き物たちの可愛さについてを惚気ながら寝てしまった。更に勘右衛門、三郎が寝たのを見た後に、タカ丸の意識も途絶えていた。
 次に目が覚めるとまだ暗闇の中で、携帯電話で時間を確認すると、夜中の二時前だった。皆、思い思いの場所に寝転がって、有り合わせの布団や毛布を被っている。タカ丸にもいつの間にか毛布が掛けられていた。
 タカ丸はのそりと起き出し、静かに歩き出す。襖の傍で同じ布団に包まっている雷蔵と三郎の脇を擦り抜け、窓際へ辿り着く。
 窓の下では、兵助が丸くなって眠っていた。寝返りを打った時にずれたのだろう、毛布から尖り気味の肩や細い腰が出ていて、タカ丸はそっと毛布を掛け直した。
 月明かりに照らし出された、兵助の白い横顔。
 あぁ、とタカ丸は胸中で呟く。
 込み上げる、この気持ち。最初は何度も疑った。諦めようとも思った。
 それでも。
「…好きだよ、兵助くん」
 囁くように呟いた言葉は、静かな部屋の中、やけにはっきりと自身の耳に届いてドキリとする。更に、目の前の兵助が身動いだので飛び上がりそうになる。
「へ、へーすけくん…?」
 ぽかり、開いた黒い大きな目が、しばし宙を彷徨った後にタカ丸の上で焦点を結ぶ。眠たげに瞬きを繰り返し、幼い表情で眉を寄せた。
「…うそだろ」
「へ?」
「だって…アンタが、おれのこと…そんなふうに思うはず…ない……」
「…どうして、そう思うの?」
 兵助はごしごしと目をこすり、けれど諦めたように頭を畳につける。
「アンタ…モテるだろ。…わざわざ、おれみたいなのに…手ぇ出す必要…ない……」
「じゃあ、どうすれば信じてくれる?」
 問えば、目を閉じたまま眉を寄せて酷いしかめ面になる。“ん”とも“む”とも判別つかない音で唸っていた声が、唐突にピタリと止まる。
「…じゃあ、キスして」
 明らかに何も考えていない声だった。
「…いいよ」
 それでもタカ丸は、ゆっくりと身を屈めて、兵助の口の端にキスをした。




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